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締め切りの迫ることばかり、時間に追われながらこなしていると、目前のことしか視界に入らなくなってくる。何のために、この勉強をしているのだっただろうか。何のために、この仕事をしているのだっただろうか。次第に疑問でいっぱいになり、理由がわからず、投げ出したくなったとしても不思議ではない。
英語の勉強ひとつ取ってもそう。「どうせ自分は海外になんて行かないし、日本人なのに、何で英語なんか勉強しなくちゃならないんだろう」そう思っている中高生が、英語の勉強に意欲的になれないのは、論理的な思考の結果以外の何でもない。私には留学の夢こそあったが、そうでなければ目的が見えず、前者と同じように英語学習の必要性に疑問を覚えていたかもしれない。
「やらなきゃいけないから」というその場しのぎの言い訳では、子どもは心から納得することなどできない。しかし、それに対してさらに問いかけることも許されない。何のために、やらなければならないのか。この「何のために」という疑問に、筋の通った答えが得られることは、とても稀だったように思う。
「目的を持って、学習に意欲的になろう」と大人は言うが、目的とはそもそも行動より先にあるもの。目的に基づいて行動を取るという順序であるべきものが覆されて、後から取ってつけたように目的を考えても、気休めくらいにしかならないだろう。
そういう意味では、フィンランドでの高校生活は、何よりも先に目的があるものだったと言える。入学初日にまず最初にするのが、高校三年間または四年間で受ける授業の計画を立てることだ。小中学校九年間これまでしてきた勉強と、高校卒業後の進路も考えながら、どんな科目のコースをいくつ取るのか、またどんな内容の勉強をいつするのか、自分で選んで決めていく。中学校でドイツ語を習い始めた人は、高校でもドイツ語を続けてみたり、また新しい語学に挑戦してみることもできる。アーティストの道を行きたい人は、必修ではない美術のコースもあるだけ取ることができるし、医学部を目指したい人は、数学や科学など理系の科目を余分に選べば、きっと受験の時に有利になる。もし、勉強したいことがたくさんありすぎて、とても三年間ではコースが取りきれないのなら、卒業を半年か一年延ばしてみることも容易だ。自分で、卒業する時期すら選ぶことができるのだ。
そうすることで、高校生活の全体像が見えてくるため、自分の進行方向や現在地すら常に自分で把握することができるのだ。次に何が自分を待っているのかも、何年か先まで知っているし、今こうしていることが、近い将来どんな形で先につながっていくのかもわかっている。すると、自然と意欲が増すし、「何のために?」などという疑問は浮かばなくなる。もちろん、途中で疑問を感じるようになれば、予定を途中で変更することも可能だ。フィンランドの若者たちは、期間限定でしか意味を持たない目的を一つ二つ持つ程度に留まらず、人生という大きな流れの中にしっかりと身を置き、前と後ろを確認しながら自らの手で舵を取っている。
理由を理解できないまま、取り組まなければならないことは、この世にたくさんあることだろう。だが、そんな状況にあきらめてしまい、いつまでも自分に言い訳を聞かせようとしていてはならないのだと思う。過去を見て、先をみて、それが今の自分とどうしても繋がらないのならば、一度立ちどまって舵を取りもどさなければならない時が来ているに違いない。
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