職場とは困った人との格闘技 !?
職場とは、ある見方をすると、困った人との格闘技といえるかもしれません。会社とは職場の集まりです。会社は物を作っていたり、何らかのサービスを提供していますが、そこには毎日人がやってきて仕事をしています。会社に行くと、職場がその単位であり、何人かの同僚がいて、上司がいて、人によっては部下を持たされています。
職場にはいろいろな人がいて、そこにはすばらしい人間ばかりではありません。1人や2人、必ず困った人がいて、その人のことで悩んでいる人もたくさんいます。その人さえいなければ、あるいはその人の問題となる行動さえ改まればあとはどうにかなるのに、と思うものですが、どうしても改善されずに推移していきます。いつのまにか、会社に行くと、困った人との格闘技になっていることも珍しくないのです。
会社に勤めていると、給与とか勤務時間とか不満に思うことはいろいろあるかもしれません。会社の業績が不振だと将来のことが心配になることもあるでしょう。しかし、それは割合些細なことで、普段はあまり意識していないかもしれません。それよりも、身近な困った人とのかかわりはもっともっと深刻です。
困った人がいると、愚痴を言ったり、ぼやく人もいます。しかし、それによっては何も解決しないのです。それと、困った人を捕まえて問題を指摘すればすぐに直ると思っている人が多いのも事実です。しかし、そんなに簡単に困った人が普通の人になるのなら、そもそもそんなに困らないのです。困った人の困り具合をしっかりと把握し、抜本的な取り組みをしないと、困った人の行動を改善することは困難です。
困った人には、そうなる原因がいろいろあります。それにはどんなものがあるのでしょうか?
困った人には常識がないという人がいます。普通の人には常識があり、常識に基づいて行動するが、困った人は常識が足りないという見方です。しかし、世の中が多様化し、雇用が流動化すると、そんな常識問題だけで解決することはできません。ある会社での常識はほかの会社では通用しないこともしばしばです。それをいちいち常識があるかないかで考える発想は適切とはいえないですし、かなり限界があります。
また、困った人は人の気持ちがわからないから困ったことをするという見方もあります。確かにそういう面もあります。気持ちがわかるかどうかは感受性の問題です。人には尊重されたいという気持ち、体面を気にする気持ち、気遣ってもらいたいという気持ちなどいろいろな気持ちがあります。そんな気持ちを察してほしいという要素も否定できません。しかし、これもまたそれだけでは問題の解決にはいかないでしょう。そもそも会社は事業を営み、何らかの仕事をすることがあくまでも目的です。気遣いだけをし、人々の気持ちを癒し、潤すためだけに職場や組織が運営されているわけではないからです。
そこで、困った人を性格(パーソナリティ)や資質特性、行動特性など科学的な観点からみつめ、そのパターンごとにアプローチしていくという発想を持つことが大事です。普通の人と困った人という単純な二分法を廃し、困った人は程度の差こそあれ、どこにでもいて、それにはいくつかのパターンがあるという発想を持つことです。
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