◆月から見える万里の長城

数ある中国の世界遺産のなかでも最も有名な場所といえば、「月から見える唯一の建造物」とのフレーズで知られる万里の長城をおいてないでしょう。

実際には「月から見える」というのは誇張のようですが、東は河北省山海関から西は甘粛省嘉峪関まで延々約6000キロメートル、世界最長にして無比の大城壁であり、「月から――」と大仰な表現を使いたくなった気持ちは理解できます。

長城建設が始まったのは約2500年前、北方騎馬民族・匈奴の侵入を恐れた諸国の王が各地に作った防壁が「万里の第一歩」で、のちに秦の始皇帝がこれを一つの壁としてつなぎ合わせ、初めて「長城」の体裁が整ったとされています。

その後、14世紀に元の蒙古軍を北方に駆逐した明が、敵軍の再侵入を防ぐため長城の大規模な拡張と修復に乗り出し、現在の姿となりました。

長城観光の中心となっている北京近郊の八達嶺や慕田峪は、大部分が明代のものです。これらは観光客用に整備されているため堅牢強固な印象を受けますが、長城の大部分は積年の風雨によって損傷が進み、すでに朽ち果て原形を留めていない区間も少なくありません。

長城の高さの平均は約7.8メートルといわれていますが、古代の長城は建築方法も単に土を積み固めるだけの版築法であり、脆いうえに高さも3メートル程度と低く、敵軍を阻むという本来の目的は達成されていなかったのが実情のようです。にもかかわらず、歴代皇帝が懲役工夫の死屍累々の犠牲をも厭わず長城建設に固執したのは何故でしょうか。

それは己の権力誇示のために他なりません。外敵を防ぐための長城が距離を重ねるほど、過酷な労働を強いられた民衆の心が離れていったのは皮肉な結果です。

巨大な臥龍を彷彿とさせる長城は権力者の琴線に触れるものがあるようで、かの毛沢東も詩の一節で「不到長城、非好漢」(長城に登らざれば、男子たりえず)という名言を残しています。

弊社刊「図解でわかる100シリーズ」より

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