◆西の方 陽関を出れば故人無からん シルクロード

「シルクロード」という言葉の響きから、名曲「月の砂漠」に歌われている幻想的な風景をイメージする人も多いでしょう。実際は商人たちが苦労のすえ開拓した、点在するオアシスを結ぶ苦難の行程なのですが、シルクロードとは中国産の絹織物を地中海の国々へ運ぶための古代交易路、その名の通り「絹の道」です。

19世紀末にドイツの地理学者・リヒトホーフェンが現地を調査中、往時の交易路らしき道の目星をつけ、自著のなかで絹の道を意味する「ザイデンシュトラーセン」と命名。これが英訳され、「シルクロード」という呼称が定着したといわれています。

起点が唐の都・長安(現在の西安)で、終点は遥かローマ。中国領内には、@敦煌〜ハミ〜ウルムチ〜伊寧〜旧ソ連(天山北路)Aハミ〜トルファン〜コルラ〜カシュガル〜パミール高原(天山南路)B敦煌〜楼蘭〜ホータン〜カシュガル〜パミール高原(西域南路)という3つのルートが通じていました。この道を通って運ばれたのは絹ばかりではありません。玄奘三蔵は仏教経典を求め印度を目指し、西からは製紙技術など多様な文化が伝わりました。

当時は世界屈指の一大交易地だっただけに、この地域に居住する人々は、ペルシア、ウイグル、モンゴルから漢語まで自在に操ることができたといいます。

同じ宗教とはいえ、他のイスラム国家と比べウイグル人が開放かつ社交的なのは、そうした歴史的背景のためかも知れません。

1498年のバスコダ・ガマによるインド洋航路発見以降、シルクロードは交易路としての役割を完全に奪われてしまいましたが、世界遺産の敦煌石窟、「西遊記」にも登場するトルファンの火焔山、幻の王国・楼蘭遺址、長城西端の嘉峪関など沿道の魅力ある遺構や風景は多くの旅人を引きつけています。が、アフガン動乱後、パキスタン、カザフスタンへ抜けるルートは、タリバン一派潜入の可能性があるとして緊迫状態に。

平和な絹の道に、武器は似合わないのですが…。

弊社刊「図解でわかる100シリーズ」より

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