◆西安、ツワモノどもが夢の跡 兵馬俑

1974年、陝西省西安市臨潼県で井戸掘り作業中の地元農民が偶然発見した人馬の埴輪は、のちに全世界を驚嘆させる大発見として後世に名を残すこととなりました。そう、これが巨大な地下宮殿に眠っていた兵馬俑坑が長い歳月を経て再び我々の眼前に威容を現した歴史的瞬間だったのです。

中国初の統一国家を打ち建てた秦・始皇帝の強権ぶりについては多言を要しませんが、始皇帝は永遠の命を得るため、紀元前210年頃、兵馬俑坑の東にある驪山に高さ約76メートルの壮大な生前墓を築造しました。地下宮殿の兵馬俑坑は、70万人もの工夫を36年にわたり酷使して完成した、この始皇帝陵を護衛するために作られたものです。

1974年に発見された1号兵馬俑坑だけでも約500体の武士俑、6輌の戦車を牽引する陶馬24頭が出土しており、その後20年の間に相次いで見つかった2号・3号兵馬俑坑も含めると、全体で推計6000体を超える武士俑と木造戦車40輌が埋蔵されているといわれています。

これら出土俑が世間を驚かせたのは、その膨大な数ばかりが理由ではありません。瞠目(どうもく)すべきは1体1体の精緻さ。当時の軍隊の配列通りに埋められた兵馬俑は、これだけの数がありながら、それぞれ表情・髪型・着衣などがすべて異なっているのです。

現在、博物館として公開されているドームでは、地下の陳列を見下ろす形となるためスケールを実感しにくいのですが、1体は体長180センチメートルもあり、実際の兵士よりかなり大きく作られています。

あの万里の長城を築かせた始皇帝が夢見た「永遠の権力」の象徴ともいうべき兵馬俑坑――。長城同様、無数の屍の上に完成を見た地下宮殿に並ぶ無言の兵士たちは、いまなお皇帝の呪縛から解き放たれることなのないまま陵墓を守り続けているのかも知れません。

1987年に世界文化遺産に登録された秦始皇帝陵と兵馬俑坑遺跡は、西安からの「東線」日帰りツアーで手軽に訪れることができます。

弊社刊「図解でわかる100シリーズ」より

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