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地域にはコミュニティがありました。「社会人基礎力」のようなことは、地域や家族の中で自然と学ぶことができました。
たとえば、「社会のルールや約束は守りなさい」「いじめはするな」「相手の意見をしっかり聞いて、自分の意見もわかりやすく伝えなさい」「主体性をもって物事に取り組みなさい」といったことが、自ずと育成されたのでした。
現代人からすると、少々うっとおしいシステムかもしれませんが、そういった社会との関係性が子供のころから自然とできていたので、働く年齢になれば一定の社会人基礎力も身についていたのです。

しかし、時代の移り変わりとともに、徐々に個人と社会とのつながりが変わりました。
まず、自営業が減り、勤め人が増えました。昭和30年頃は住職近接の自営業とその家族従事者が就業者の56%を占め、地域コミュニティを自営業者の連携が支えていました。しかし、今や87%が雇用者つまりサラリーマン型の人となり、通勤を余儀なくされ、平日の昼間に大人の影が減った地域の教育力が落ち、核家族化が進み、家庭の教育力の限界も顕わになってきています。
すると、今度は学校にそういった基礎的な教育の期待がかかります。その中で、「社会」としての機能を果たしていたのが、クラブ活動や部活動、学校行事といった課外活動でした。先輩と後輩の関係や、仲間との連帯によって、社会とのかかわり合い方を、曲がりなりにも一応学ぶことができていたのです。

しかし、大学進学が当然の時代になってくるとともに、部活動よりも塾・予備校に行くことが重視されるようになりました。その結果、部活動や学校行事は、現在、以前ほど盛んでなく、学校によっては低迷しています。大学でも、サークル活動が続かない学生が多いのが現状です。

●受験を勝ち抜くだけでは、仕事に必要なチームで働く力は育たない
もちろん、受験でも、目標を達成するということは体験でき、考え抜く力を養えます。しかし、受験というのはいわばまったくの個人競技ですから、チームで協力し合いながら目標達成するということを学ぶことはできません。しばしば安全志向になるので、過去問を解いて、入れるところへ確実にとなると、前に踏み出してチャレンジする力も育成できません。

ところが社会に出てからの仕事は、正解があるかどうかもわからない課題をチームで解いていくといったものがほとんどです。社会に出るまで十分な社会活動を行ってこなかった場合、チームで働く力が育っていないことが多い。それなりに難関な受験をくぐり抜けた秀才だからといって、会社で使い物になるかどうかがわからないのはそのためでしょう。
さらに言えば、学校教師の多くはいわば個人競技型の学力における秀才であったけれども、社会人基礎力のような社会関係対処力に秀でた人ばかりではありません。そういった人たちが教えている学校で、社会人基礎力がどこまで身につけられるかというと、しばしば疑問符をつけざるを得ません。まあ、私たち大学の先生も、まさにそのような存在なわけですが(笑)。

●業務と人間関係の両面で揉まれると得られる「気づき」
社会人基礎力を身に付ける上で大切なのは、「気づき」です。社会やコミュニティの中で仕事と取り組みながら、業務と人間関係の両面で揉まれる必要があります。揉まれる中で気づきを得て、それを高めるための工夫を自分なりに行わなければならない性質にあります。高学歴化で23、4歳になるまで学校にいると社会と触れる機会が少なくなりますから、こうした気づきを得るチャンスも減ってしまいます。
ではどうすれば良いのか。

たとえば、学校教育そのものの改革をする必要があります。もっと、問題解決型の授業を取り入れるべきでしょう。小グループ活動で、課題について調べ、検討し、議論しながら、グループで解決策を考えていくような授業です。
アメリカの大学と日本の大学の大きな違いの1つは、日本と違ってアメリカは国土が広大で大学もあちこちにあるため、家から通えるから、といった理由で大学を選ぶことが非常に少ない、ということです。そのため、自分の将来キャリアに向けて学ぶべき領域を学ぶのにふさわしい大学を選ぶ傾向があります。もちろんその大学へは家から通えないことがほとんどなので、寄宿舎生活を行います。まさにコミュニティです。そこでは社会性を学ぶことができ、その中で多くの気づきを得ることもできます。

いずれにせよ、教育のあり方を変えていくことは重要な対応策です。以下に、育成・評価手法についてまとめた資料がありますので、参考にしていただければと思います。



http://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/
h19referencebook/h19referencebook.pdf

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