アメフト型組織vsサッカー型組織。
人は自分の得意なことで活かされたとき、
最も輝き、充実した生活を送れる・・・・・・。
今回で連載は最後となる。
一年間、小職の戯言にお付き合いいただいた皆様には、お礼を申し上げたい。

このコーナーでは、人材や組織に関して日頃感じているテーマを取り上げた。採用といった極めて具体的な話から、ミッションや価値観など抽象度の高いテーマまで、ふらふらと進めてきた観がある。お察しの通り、普段、小職は文章をめったにかかない。本や論文の類は小職の様な限られた知見をまとめただけでは人の役に立つとも思えず、また、多少なりとも、世間に顔や名前がでることに気恥ずかしさも覚えるがゆえである。

さて、今回は結びに変えて、これからの組織について漠と感じているところをお伝えしたい。

かつて何人かの経営学者が、「これからはサッカー組織だ!」という説を唱えた。今でもサッカー型組織は自由かつ柔軟な組織といったイメージで、多くの人が良しとする組織モデルとなっている。

私の記憶では、こういった比喩が流行ったのは、ピータードラッカーが「ポスト資本主義社会」を著したころからではないだろうか。その意味するところは、主に「指揮命令型から自律分散型への移行」だが、今にして思うと、多くの課題を含む提言であったのではと思う。

サッカー型組織に対比して、批判の矢面に立たされたのが、野球型組織、またはアメフト型組織である。アメフトといえば、「会議ばかりしているスポーツ」だとか、「監督が考え、選手は考えずにプレーする」スポーツなどと揶揄されることが多い。確かにアメフトは他のスポーツに比べて機能分化が極端に進んだスポーツかもしれない。会議が多いというのも官僚組織の姿とだぶる。だが、実態は選手の判断力が高度に要求されるのは言うまでもない。

一方で、サッカーは自律分散型に見える。しかし、トルシの様に戦術レベルの子細まで指示をする監督が、自律分散の権化のようなジーコ以上の成績を結果的には残すこともある。そもそも自律分散型が進めば、監督のいないチームこそ最も完成度が高いということになるが、いまだかつて監督のいないチームが活躍したという話もない。
さて、企業組織がサッカー型に移ると何が起こるのだろうか?
基本的にはオシムいうところの、全員考え、全員相手よりも早く走る、といったマルチタレント集団になれという話になる。 しかし、これは一歩間違うと、社員に全てを求める組織になりかねない。もちろん、本当のサッカーではそんなレベルの低い話はないが、サッカー型組織にしたい経営者の中には、組織をサッカー型にすれば、後は社員が自発的に動くと信じている方もいらっしゃるように感じる。

さて、話は変わるが、子供の間ではスポコンが復権している。
私のお気に入りはアメフトに燃える高校生の物語である「アイシールド21」だ。

足が速いのだけが取り柄のセナ、キャッチだけがうまいモンタ、腕力だけは誰にも負けないダイキチ・・・一芸集団が協力しあって超人集団を倒していく。監督は選手も兼ねた蛭間妖一。大会優勝というビジョンを掲げ、バラバラだった選手達をまとめていくのだが、この男には「一芸だけでもチームのために働けるなら、それを伸ばせばよい」という人材に関する哲学がある。

超人サッカー社員をお求めの経営者様。 子供達は気がついていますよ。あなたに付き合って超人への道を歩むのは、全然楽しくないということに。

組織の都合で、全員が超人を目指す社会は、希望格差社会の到来、燃え尽き症候群、かつてないうつ病の増加などから、すでに限界が見えてきているように思う。人は自分の得意なことで活かされたとき、最も輝き、充実した生活を送れる。これをかつては「美点凝視」と称して、規範としていた組織もあった。

いまもう一度、アメフト型組織、個性を活かす経営、美点凝視を美徳とする経営者が求められていると確信する次第である。


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