日本の伝統分野で活躍する方々の学びの極意を聞く〈日本の達人〉コーナー。
1000年以上の歴史を持つ、伝統芸能《太神楽》の達人にお話を伺いました。
太神楽師
鏡味 味千代(かがみ みちよ)
2000年3月国際基督教大学卒業後、2007年3月まで広報代理店にて会社勤務。
その後めでたくOLを卒業し、2007年4月国立劇場、第5期太神楽研修生となる。
研修時代には太神楽の曲芸の技能だけではなく、獅子舞に必要な鳴り物(笛、太鼓)、三味線、また日本舞踊なども稽古をつみ、2010年3月研修を卒業。得意だったのは笛。
今でも寄席で出囃子の笛などを吹いている。
同年4月、ボンボンブラザースの鏡味勇二郎に弟子入り。
その後1年間、噺家の前座に混ざり落語芸術協会にて前座修行を行う。
365日休みなく勤め、お茶くみ、座布団返し、師匠方への着付け等、行儀見習い一般を経験。
2011年4月浅草演芸ホールにて寄席デビュー。
東日本大震災後の静かな寄席ではあったが、沢山のお客様が足を運んでくれた。
その後、寄席では珍しい語学力を生かし、英語で太神楽を上演したり、年に一度のペースで海外公演に参加したりと、太神楽の可能性を探っている。
鏡味味千代公式HP
目次
--太神楽(だいかぐら)とはどういったものでしょうか?
太神楽とは、日本で約1000年以上続いている伝統芸能になります。もともとは中国から来た獅子舞の芸で、獅子神楽と呼ばれる神楽の一つです。太神楽は主に伊勢神宮、熱田神宮などの大きな神社に来られない人のために、太神楽の一団(社中と呼ばれます)が一つ一つの村の家を訪ね、獅子舞を舞ってその家の厄払いをしたのが始まりと言われています。現在寄席(よせ)でやっている曲芸はその獅子舞の余芸なんです。
--歴史としてはすごく古いのですね。鏡味さん自身、昔から伝統芸能に興味があったのでしょうか?
いえ、そんなことはありません。私自身は、外交官を目指していましたし、寄席にも興味はありませんでした。でもある日、父親に連れていかれて寄席にはまりましたね(笑)
だって究極の癒し空間じゃないですか。落語って人を傷つけない笑いなんですよ。ちょっとお間抜けな人が出てきてそれを笑いはしますが、例えばテレビの笑いだと叩いたり、いじめに近い笑いもあるじゃないですか。でも寄席の芸は、本当にそこにいる全員が笑える笑いなので、そういったところに惹かれましたね。
--なるほど、確かにそうですね。その中で太神楽に出会ったと。太神楽の魅力はなんでしょうか。
落語と落語の合間に色物という落語以外の芸が出てきます。お客様の頭を切り替えさせたり、いろいろな芸を楽しんでいただいたという趣向です。その色物の一つに太神楽があります。最初に太神楽を見たとき、すごい芸だなって思って。傘の上で物を回すだけではなく、きわどいバランスの芸にドキドキしたり、たまにユーモアがきいていたり、何も考えずに見るだけでも「わぁ」となりました(笑)。色々と調べたら、長い歴史を持つ日本の伝統芸能だというのもわかりました。
そして太神楽って全ておめでたいこと尽くしなんです。さらに言葉が分からなくても通じるから外国の方にも楽しんでもらえる。日本のハッピーをすごくわかりやすく伝えられる芸だと思いますね。
--鏡味さんが太神楽の世界に入るまでの過程はどのようなものだったのですか?
それまでは会社勤めでした。もともと大学卒業するときに外交官を目指していたんです。でも試験に落ちてしまって、そんなときにご縁があって広報代理店で働くことになりました。
--広報代理店から伝統芸能の太神楽師ですか。全く違う世界ですね(笑)
みなさんよくそう言われるんですよ。でも私自身はそう思っていなくて、外交官を目指していたのも、日本の良さをPRする仕事がしたかったからなんです。その後、広報代理店に就職しましたが、それはPRの方法を学び、何か日本の良い企業を紹介する機会を持てればと思ってのことなんです。その後、太神楽に出会って、自分が太神楽をやってしまえば、日本の良い部分を伝えたいという夢を叶えることができるなと思いました。なので、形は違うけれど、私のやりたいことは一貫していて、変わらずにあります。
--PRするのと自分がやるのとでは大きく違いますが、葛藤はなかったですか。
広報業界って、転職するのが当たり前なんですね。転職してお給料をあげて、独立をするのか昇進を目指すのか、企業の広報に入るのかといった業界なんです。転職したときの面接で思ったのは、何かをPRするよりも自分をPRする方が得意だなって。やっぱり会社に所属していると、自分のやりたいことだけをすることはできないので。その意味で、葛藤はなかったですね。
--太神楽の曲芸を今でも失敗することはありますか?
もちろん失敗はあります。みなさんの思う太神楽の達人って「絶対失敗しない人」かもしれませんが、そんなことはありません。体を使うものなので、年齢を重ねていくと、肉体的には衰えていき、失敗をすることもあります。でも“芸”は違います。どんなにうまくても経験が浅くお客さまからあまり拍手もらえない人もいますし、どんなに失敗してもお客さまを喜ばせられる人もいます。後者の方が芸人としては勝ちですよね。だから失敗をしたときに、それをどうフォローして、芸に変えるかというのが達人の域だと思います。わざと失敗して、他の芸を際立たせたりすることもありますし、それも魅せ方ですよね。
--伝統芸能はとても厳しい世界のようなイメージですが、修行は大変でしたか?
国立劇場が運営する伝統芸能の後継者を育成する事業があり、そこで修行を始めたので、先生方には恵まれ、著名な方々に教わることができました。インタビュー的には「すごく大変でした」と言った方が映えそうですけど(笑)、私は社会人をやってから入ったので、自分の好きなことに全ての時間を傾けられるってありがたいことで、とても楽しかったですね。
修行中感じたのは、日本にいるのに、日本に留学したような気分になることです。私たちって思っているよりも西洋の文化で生活している部分が大きい。でも修行中はものの考え方もそうですが、本当の和の文化に触れさせていただいて、日本にいるのに、新しいものに触れているような体験で毎日わくわくしていました。しいて辛かったことを挙げると、技が「できないこと」が辛かったです。
--苦手な芸もあったと?
そうですね、全部苦手です(笑)。特に「投げ物」と言って上に物を投げていく芸や傘の芸はそんなに得意ではないですね。傘はいまだによく失敗します。あとは三味線ですね。先生の言っている言葉の意味さえわからないこともありました。
--一緒にはじめた同期の方も同じですか?
同期は3人いましたが2人は辞めてしまいました。理由は知らないのですが、厳しいということではないと思いますよ。実は、太神楽ができなくても師匠たちは怒らないんですよ。怒鳴ることもありません。私たちは将来的には師匠たちの同業者、つまりはライバルになるわけじゃないですか。ですからできないのであれば、やらなくてよい。学校ではなくて、職業人を作るための制度なので、別にやる気がないのなら、やめてもらって構わないということなんですよね。すべてを自分の責任で、修行もやらなければいけない。やりたいと思えばそれだけのものをいただけるが、やりたくないと思ったら別に誰も何も言わない。自分から積極的に学ぼうとすれば与えてくれるが、向こうからは積極的に与えて下さりはしないです。だからそういう意味で厳しかったとは思いますね。辞めたのは若い子達だったので、もしかしたら与えてほしかったのかもしれないですね。
--教育業界では、手を上げない人たちにも、会社の都合で教育の機会を提供することもありますが、職人芸人の世界では、自分が積極的に取りにいかなければ成り立たないのですね。
もちろんそうですし、芸の世界では、やる気がない人は必要とされません。ライバルはいっぱいいますし、やりたい人も沢山いますから。厳しいですね。
--モチベーションを保っていくコツはありますか?
私の場合は、後がないんですよね。30歳になって会社を辞めました。辞めたすぐあとだったり、あるいは他の仕事を自分で始めたりというのならば、可能性はあるかもしれないですが、今この年齢では、会社では多分採用されないと思います。でも、モチベーションという意味では、後がないからというよりは、「やりたい」という想いが強いからです。もちろん「太神楽という仕事」をやりたいということもありますが、太神楽を通してやりたいことが沢山あります。昨年は先輩方と男装ユニットを立ち上げたり、今も新しい会の準備中ですし、進行中のプロジェクトもあります。覚えなければいけない、稽古しなければいけない技もまだまだあって、時間が足りません。モチベーションが下がる暇を与えないのがコツでしょうか。
--仕事の中では、やりたくないことでもやらなければいけない事もあって、でもそういう時ってなかなかモチベーションを保てないという方もいると思いますが。
私は会社員として働いていて、合わないなと思って今の仕事を始めました。ただ私がその頃の自分を顧みて思うのは、自分はすごく甘かったということです。会社で成功している人は、自分から進んで仕事をする。会社の一員として与えられたことをやるだけでは、絶対にモチベーションはあがらないと思います。そうじゃなくて、与えられた仕事の中で、少しでも改良していこうとか、先手をうっていけばモチベーションは上がったんだと思います。私はそうではなかったので、辛かったです。もっと“覚悟”を決めて、私はこの世界で生きるんだって考えていれば違っていましたね。
講演を頼まれた時に言うのですが、“覚悟”が必要だと思います。「自分探し」をしてはダメ。自分を探しても絶対見つかりません。自分が与えられた場所でどれだけがんばるかでしか自分は見つけられないと思います。自分は作っていくものなんです。それを私はこの仕事をやって気づきました。後がないっていうのは、結局そういうことなんだと思います。
この業界に入るとき、試験を受けて合格した日に、とんでもないことをしてしまったという実感が初めて湧いてきて、「大丈夫かな、どうしよう、これから不安定な生活になるのかな」と怖くなったのを覚えています。そういった不安を抱きながら稽古をしていました。稽古中も「あの技ができなければ食べていけない。でも誰も助けてくれない」と考えていた時期もあります。
でも、だから、もう余計なことは考えない。ともかくこれをやるしかない。その覚悟を決めました。覚悟が決まれば、何か辛いことがあっても、それを前向きにとらえて「やってやろう」という気持ちにもなりました。でも会社員の時はそうではなかったですね。辛いことがあれば、転職しようとか、土日早く来ないかなとか思って、そのために働きました。お金も生きながらえるだけの仕事ができればいいと思っていましたし。でもそれだと、成長もしないし、モチベーションも絶対にあがりません。だからあの頃の自分に言いたいのは、せっかくそんな環境が与えられたのだから、とりあえず覚悟を決めてやってみろと言いたいです。
--覚悟を決めれば余計な悩みもないし、一気にそこにエネルギーを使えますね。
私の仕事は、色々な企業のお祝いに招かれたりもします。そこの社長さんや上層部の方々の話しを伺うとみなさんそうですね。当たり前ですが、覚悟を決めていますし、余計なことを考えていないです。むしろ今度はこうしよう、ああしようと、いろいろなアイデアを持っていて、働くのが楽しそうです。
噺家の前座さんは4年間ですが、私も前座を1年間やらせていただき、寄席のしきたりや裏方の仕事を覚えることができました。
寄席は素晴らしい教育機関だなと思っていて。前座修行には、芸人として生きていくためのノウハウがつまっています。まず寄席には絶対的な上下関係のヒエラルキーがあるんです。寄席は1秒でも早く入った人が先輩で、その人がカラスを白といったら白なんです。すごい不条理だと思うんですけど、それはある意味良いことなんですよ。まず上下関係が決まっているので、もめごとが少ない。上の言ったことに従っていれば良いので。また前座は入ったときは底辺なので、だれにもノーを言えない。だから、めちゃくちゃ怒られますが、はいとしか言えないんですね。それに耐えられない子はそこで辞めていきます。でもそこで身につくものがある。例えばよくあの人はこう言った、この人はこう言ったと、色んな意見があってどっちを信じたら良いのか分からないことがありますが、前座をやっている内にそういう人間関係をうまくやり過ごせる技が身に着きます。
前座時代は、飲み会では裏方に徹し1滴も酒を飲めません。楽屋では師匠に自分から話しかけてはいけないし、鼻をかみそうな人がいたらゴミ箱を用意したり、着替えるなと思ったらすぐ着物を用意したり、裏の裏を読んで人の気持ちを汲んで行動しなければいけない。師匠方のやってほしいことを、言われる前に気づかないといけないのです。でもこれがすごく芸人としての人生に役立つんですよ。やっぱり色々なお客さまとお付き合いしていく中で、そういうことを学んでいくと、かゆいところに手が届くというか、そうするとお客さまにかわいがっていただけます。高座はライブなので、お客さまが何を考えているかわからないと上手く主導権をとれないんですが、前座時代にあの人は今どう思っているのかなと必死で考えた経験があるのとないのとでは全然違いますね。また実は寄席の流れを仕切るのは前座さんなので、実務としても役立ちます。不文律として寄席の流れを下は前座から上は師匠まで皆が把握しているので、実際に寄席以外で落語会をやるときに、無駄な準備やリハーサルなく、プロとしてスムーズに行えます。そして何より、毎日毎日師匠方の芸を袖から見ることができるのも、貴重な時間です。ですから、前座というのはすごく不条理ですし、365日休みはないですから労働基準法にはひっかかるのですが(笑)、あの経験は芸人としては、とても大きかったですね。
--脱落する人も多かったのでは?
実はそんなにいません。普通の会社なら辞める人も多いかと思いますが、そこはヒエラルキーがきちんとできているからですね。不条理な人がいれば、それより上の人が必ず見ていてくれるので。他の人がフォローしてくれるといったこともありますし、また、だんだんそれをうまく躱せるようになる。躱せるようにならないと芸人としてはやっていけないんだなと思います。
--寄席の環境と芸人として成長することがすごくリンクしていますね。
もう一つ。前座は、すごく怒ってもらえるんですよね。怒られるというと普通は嫌じゃないですか。でも怒ってもらえるというのは、ものすごくありがたいことなんですよ。自分が思っていることを、いや違うこうだよと怒ってもらえれば、間違いを正せる。つまり正解を教えてもらえるってことです。
その後、前座を卒業すると、誰も怒ってくれなくなります。前座じゃないからあとはおまえの責任でやってくれ、となるので。前座のときにどれだけ吸収するのかっていうのはとても大切なことですね。怒ってもらえるって(この世界では)みんなありがたいと分かっていると思います。言われたらありがたいと思えるのは重要ですね。会社勤めの時は、怒られたらイラッとしました。でも前座時代には、怒ってくださった人に「ありがとうございます」と素直に言えました。
--入門した順番ということは、年下の先輩にも怒られることはありますか?
もちろんあります。でもこの世界に年齢は関係ありません。そこで例えば反抗したとするじゃないですか。反抗してもいいんですけど、そこで反抗したら誰も何も言ってくれなくなります。だから小言ではなくアドバイスなども、受けたら否定から入りません。例えば、帯の色こうした方がいいよと言われたら、たとえ自分にポリシーがあったとしても人から言われたことはちゃんと聞くようにしています。そうしないと、次にその人がアドバイスをくれなくなる。やっぱりこの世界、アドバイスはすごくありがたいことなので。
--常に周りの人にアドバイスもらえるように心がけているんですね。
そうですね。下の人からでもこうした方がいいよと言われても、「いやそれはね」とは言わないように心がけています。たまに言ってしまうときもありますけどね(笑)
また最近は誘われたら行くというのもあります。飲み会だったり、ここ良かったよと言われたらそこに行ってみたりとか。子供がまだ小さいので限界はありますが、行ける範囲内では人の薦めに乗ってみます。乗ってみることで、自分にない考えを取り入れられるので、視野が広がりますしね。
--太神楽は新しい芸も生まれているのですか?それとも技を継承していくのが一般的ですか?
今のところは継承です。新しいものもやりたいのですが、現状はそこまで手が回らないです。ただ太神楽は新しいものも取り入れていて、例えば、私の師匠(ボンボンブラザース)は着物では芸をやっていないです。使う道具も帽子などの洋物です。私もいずれは新しいことをやりたいです。まだまだ技術力を高めないといけませんが。
--今までの技術を継承して精度を高めていくこと、一方で新しい芸を作るって大変ですよね。
そうですね。逆に今無くなってしまっている芸というのもあって、その発掘をやってらっしゃる方もいます。無くなってしまった原因は、人数が少なくなってというのがあります。技術モノなので、この人しかできないというものが、その人が亡くなられてしまうと誰も知らないままなくなってしまった芸もあります。
ビデオも残っていなくて、文献だけで過去の技術を発掘しようとすることもありますよ。
--もったいないですね。ぜひ見たかったです。
今私は一人でピン芸人としてやっているのですが、一人のスタイルというのは、結構新しいんですよ。染之助染太郎師匠のように2人、3人が多かったようです。当時は、二人組で一人が風邪を引くと他から一人借りてくるぐらいの形がスタンダードでした。なので、今の一人でやるというスタイルは珍しかったんですよね。私のように女性の着物でやっているというのも新しいですね。それと、私はセリフを伝統的なものとは変えています。セリフを変えることで、伝わりやすくなっていると思います。また新しい手法として、この間面白かった試みが、ジャズバンドの音楽に乗せる太神楽です。楽しかったですね。
--そういえば先日も海外に行ってらっしゃいましたよね。いかがでしたか。
バンクーバーに行ってきました。面白かったです。今回は仕事というより武者修行ですね。普通は仕事として、呼ばれていくのですが、今回は自分でアポイントを取っていきました。もちろん仕事としていくのがベストですが、自分の力を試したいなっていうのがあって、出来る場所を探して、出演交渉をして、知り合いのツテを頼ったり。一人旅じゃないですが、誰にも頼らないで全部自分でやるというのはすごく貴重だったなと思います。10年後だったら、ちょっとそういうことを周りが受け入れられる歳じゃなくなってしまうんじゃないかなと。だから今の内にできて良かったです。
--太神楽師芸人の人口は減っているんですか?
昔に比べたら減っていますね。戦後は200人くらいいたんですけど、今は15名くらいです。ただ200人いた時は、獅子舞で各地を回っていた時なんです。その時は社中と呼ばれる集団で動いていたので、そのくらい必要でした。今はほぼ寄席だけになっているので、今のような人数になっていったのかな、と。これから100人にしようということはないと思います。
--鏡味さんはまだ後進を育成するという立場というわけではないのですか?
そうですね。ただ後輩はいるので、寄席等の決まりごとを教えているという感じではあります。
--やはり伝統芸能ですので、厳しく教えてらっしゃるんですか?
太神楽って、技術に関しては見て覚えるしかないんですよ。師匠につきますけど、通常師匠は何にも教えてくれません。私の師匠は例外的に、論理的に教えてくれるので、こうした方がいいんじゃないかと言ってくれることもありますけれど、基本的には見て覚える感じですね。よくあるのは「なんか違うんだよな~」と言われるものです。ただ何なのかはわからない。でも違うっていうのは教えていただけるので、変えていくしかないです。
大体は「見て学べ」ですね。たぶん、見て盗めないとダメなんでしょうね、芸人って。そうしないと誰も教えてくれないから。厳しく言われるより、どうやって良いかわからないのが、一番厳しい。
--後進の育成も、彼らが自主的に盗みにいくようにならないとダメなんでしょうね。
そういう風にさせていくということですかね。寄席のしきたりなんかは一つ一つ厳しく教えていきます。上の言うことはちゃんと聞くということです。ただ最近の子は少しクセがあります。だから師匠も全体的に甘くならざるを得ない状況になっているっていうのはあると思います。そういう現状は仕方ないかなと思いますね。ジェネレーションギャップですかね。
でも文化やしきたりを後世に伝えていくためにも、ダメなことをダメなままにはしたくない。今子育て中なので、子供にもそうなのですが、全否定しないことが必要かと思っています。褒めるところをまず褒めて、でもこうなんじゃない?というように話していく。まだまだ私も試行錯誤ですが(笑)。
ただ私たちの業界には「芸が好き」という共通点があります。自分自身が芸に真っすぐで、一生懸命つとめていれば、すぐにではなくても伝わることがあるとも考えています。
--伝統芸能の世界は体育会系と思ったので、従順な子が入ると思っていました。
体育会系ですよ。体育会系でガンガン言われるんですけど、全然堪えない子が多くなってきています。タフということでなくて、言葉が届いてないような感じですね。そういう子は多くなってきたなという感じはあります。ただこの世界は師匠が絶対なんですよ。師匠が「おまえいらない」って言ったらすぐクビなんですね。そういう絶対的な人がいるっていうのはこの世界の良いところですし、とても大切なことかと思います。絶対にノーと言えない人がいるということ。制度的にも精神的にも。そういう風に思ってもらえる人になるために私たちもがんばらなくちゃいけないと思えますしね。なんとなくわかりますか?
--正直言うと私たちと世界が違うので、わからないところもあるのですが、その人が絶対というより、その人には絶対迷惑をかけたくないっていう気持ちはわかります。
そういうことと一緒だと思います。ただ師匠と弟子という個の関係は、こうだっていう風に一括りには言えないんですけれども、その中で自分の中で物理的にも精神的にも絶対的な存在がいるっていうのは、自分がちゃんとしないとなって思いますし、自分もそうならないとなっていうのはあります。うちの師匠はすごく優しいんですよ。だからこそ自分の師匠は絶対に悲しませたくないです。
--今後、自分の芸をどうしていきたいですか?
わたしは太神楽の中でも(経歴的に)外国語担当なので、太神楽を海外の方に紹介することに関して、後世に残せるような何かを作っていきたいですね。
--太神楽は全部の世代の方が楽しめるのでそれが魅力ですよね。
太神楽っておめでたい芸じゃないですか。でも「おめでたい」という考えが海外にはないんですよ。アジアの地域にはあるのですが、ヨーロッパの文化にはないんですよね。ヨーロッパの大道芸は、おめでたいということではなく、単に「すごい」芸なんです。日本にはおめでたいという文化があるというのを世界に広げていきたいです。
--確かに。ハッピーは、おめでたいとも違いますもんね。
コングラチュレーションも成功という意味で、結果に対して言われる言葉なんです。そうそう、余談になってしまうんですが、海外で苦労するのが、枡です。日本は傘の上で枡を回して、最後に「ますます繁盛!」と言えば全てが丸く収まります。でも海外だと、まず枡がない。英語で言えば単なるメジャーカップですよね。傘の上で枡を回しても「だから何?」ってなるんです。なので海外でやるときには順番などの演出もすごく考えます。一番大変なのが、日本人と外国人が両方いる環境ですね、その際はもう日本人に合わせてやってしまいますが。
--最後に、鏡味さんにとって「学び」とはなんでしょうか?
学びとは、“糧”ですね。学んだことはすべてが生かされていて、それが芸にもなるので。例えば、映画を見たり、美術館に行ったり、子育てしたりもすべてが芸に生かしていくための“糧”であり、生活すべてが“学び”になっています。
--生きることと働くことが同義になっているからですね。
そうですね。それと遊ぶことももちろん大事です。遊ぶ時も一生懸命遊ばないと楽しくないです。
今は趣味が欲しいです。何か新しい刺激をいつも求めています。またそれも出会いですけどね。
--日々の生活を糧にして学び、成長していくということですね。それでは、本日は長い時間ありがとうございました。
2019年5月28日 公開
インタビューに登場いただいた鏡味味千代氏が出演する興行のご案内です。
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