日本の伝統分野で活躍する方々の学びの極意を聞く〈日本の達人〉コーナー。
能、歌舞伎に続く新しいジャンルの伝統芸能、一方では柔道、空手などに続く
武道として注目される《武楽》の達人にお話を伺いました。
武楽 創始家元
源 光士郎(みなもと こうしろう)
2005年に天の母“日倫響恵”の啓示を受け、「武の美」を提唱、「武楽」を創案。翌年「武楽座」を創設。GUCCI創業家四代目グッチオ・グッチ氏より「芸術だ」と賞賛される。
イタリア王家サヴォイア家 慈善晩餐会オープニング、人間国宝 大倉正之助師と一対一で演じ高い評価を得た「日伊国交150 周年記念オペラガラコンサート」オープニングセレモニー、武蔵一宮氷川神社「明治天皇御親祭150年大祭」奉祝演武、増上寺徳川家康公400回忌奉納演武、被災地の鹿島御児神社のほか、「フジロックフェスティバル2009」にて英国人気バンドと共演。日本橋三越本店・三越劇場、ミューザ川崎では織田信長役ソリストとしてGSJフルオーケストラと共演した。
国外でも、世界遺産フィレンツェ サンタ・クローチェ聖堂をはじめ、パリ、ロンドン、ローマ、ベルリン、ブリュッセル、エルサレム、モスクワ、サンクトペテルブルク、上海、台湾、ブラジルなど、世界各国で多数公演。毎年「武の美展」も開催するなど、「強く やさしく 美しく。世界に和を」を合言葉に、日本の武士道の「美しい強さ」と「和を尊ぶ心」を世界に向かって発信し続けている。
東久邇宮文化褒賞(文化貢献)、東久邇宮記念賞(知的創造)に続き、2018年、第一回 東久邇宮平和賞を受賞。日本武道学会会員、美学会会員、民族藝術学会会員、文化産業科学学会会員。国立音楽院和楽科講師。武楽代表演目に『鬼切』『日蝕』『屋島』『敦盛』『叢雲』『邪気祓』など。
武楽 -BUGAKU- Samurai Art
目次
<武道×伝統芸能のサムライアート>
「武の美」をテーマに、武士が研鑽した武道の技と、武士の嗜みであった能や茶の湯などの所作、琵琶や筝・鼓・笛・和太鼓などの演奏とを組み合わせた、日本の伝統文化に基づくダイナミックでスタイリッシュな総合芸術。能、歌舞伎等に続く新しい伎芸であり、その演武、講演、稽古・体験会等を通して、人間形成と、平和で美しい世界の実現に貢献することを目的としている。また、武道を含む武士の思想・哲学、教養、装具などの武士文化の芸術的昇華と文化的価値の再評価を目指す【サムライ・ルネサンス】という芸術運動(アート・ムーブメント)でもある。
世界遺産 フィレンツェ、サンタクロ―チェ聖堂 「日本映画祭」 オープニング・アクト (2009年/写真:坂本 貴光)
――自ら伝統芸能の新しい形を作り上げ、国内外で活躍している源さんですが、これらの活動は、どのような目的でされているのでしょうか?
人づくりというと大げさかもしれませんが、武楽を演じること、体験、あるいは指導を通して、生き方や礼儀作法、相手を思いやる心、特に「美しい生き方」という表現で私たちが強調している「自分さえよければいい」という考え方の対極にあるような生き方を、世界の皆さまに対して伝えていきたいと思っています。
2005年、ワンガリ・マータイさん(ノーベル平和賞受賞)の「もったいない」が流行ったときに、本も売れたし、キャンペーンも展開されました。お話を聞いて、みなさん「そうだね」と納得したかとは思いますが、世界でゴミはどれほど減ったでしょうか。講演を聞けば、そのときはすごくモチベーションがあがる。でも、3日もすると忘れてくる。「理解できた」というのと「実行できる」、つまり「そういう生き方になれる」というのは、まったく別なんですね。
――教育の場面でも、よく課題とされていることです。ただ、よい解決策は、なかなか見つかっていません。
「わかる」と「できる」の間には、すごく大きな隔たりがあると思うのですが、その大きな隔たりを埋める手段のひとつが武道だと思っています。
たとえば、空手をやっている外国の方を想像すると、みなさんとても礼儀正しい。道場に入る時に礼をしたり、物を大切にしたり、試合で勝っても勝ち誇ったりしないとか。これは、自分以外のものも尊重しているということ。ただ試合に勝てばいいのではなくて、自分と向き合い、相手と向き合うことができている。
外国の方が、そういう生き方をしたいと思って空手を始めたかというと、そうではない。最初は「格好いいな」とか「強くなりたい」という動機からだと思います。選択肢として、空手でもボクシングでも良かったかもしれない。でも、そのときに空手や剣道などを選んだ人は、その後の生き様が変わってくるのではないかと想像するのです。
つまり、私自身も実体験していることですが、武道には生き様を変えていく力があると信じています。
--『美しい生き方』を「わかる」から「できる」に変えていきたいと。
そうですね。礼に始まり礼に終わる。礼と言うのは、相手を尊重する心を形に表したものなんですね。これは人に対してだけではなくて。たとえば、道場に対して礼をするというのも同じです。空間に対する礼であったり、道具に対する礼であったり、ひいては自然であったり、環境であったり。そういったものに対する尊敬や敬意につながってきます。
「美しく生きる」というのも人と人との関係性だけではなくて、自然に対しても同じです。儲かるから森林伐採しようとか、不法投棄しようとか。それって、とても醜い生き方だと思うのです。「損か、得か」という選択肢ではなくて、「美しいか、美しくないか」という、新しい価値基準の生き方を提案したい。
そういったことを言葉で説明しても「だからどうしたの」「そりゃわかるけど生活できなければ困るし」といった反応になります。それが、武道を通すことで、自然と身についてくると感じています。
みんなが美しく生きることによって、社会全体が生きやすくなると思うのです。法律は、「こういうことをする人がいないほうがいいよね」といってルールを作ると思いますが、本当だったら、罰せられようが罰せられまいが、法律(にあるようなこと)を守れるほうが、みんなにとっていい社会になると思っています。
--ルールとして、ではなくて。
日本は、それができているほうなのかと思います。たとえば、カフェで机にカバンを置いたままトイレに行ってしまっても、戻ってきて「ない!」ということはあまりないじゃないですか。
そうしたお互いの信頼のうえで生きるほうが、いい生き方ができると思います。災害時の火事場泥棒もないし、不要な自然破壊や文化破壊も避ける。皆が、良いことは自分から行う、やってはならないことは自発的に行わない。そういうほうが、世界が美しくなると思うのです。
このように、「美しく生きる」人が増えることによって、美しい世界の実現につながっていく。これが、私たちが目標としていることです。
--現在、源さんは国内外で活躍されていますが、今のような状況に至るまで色々と大変だったかと思います。その過程はどのようなものだったのでしょうか?
それは、聞いてみたいですよね。私も興味ありますよ(笑)
始めた時分、私は(武楽の活動に関しては)初挑戦でしたし、まったく違うグラフィックデザインの仕事をしていました。イラストを描いたり、漫画を描いたり。高校生の頃から漫画家を目指して、武蔵野美術大学に行って、グラフィックデザインの勉強をして。卒業してすぐは、ソニー・クリエイティブ・プロダクツという会社で働きました。ただ、作家志望の私には、個性を求められることが少ない仕事が合わず、技術を身につけるためテーマパークの動く恐竜を作る会社の仕事なども経験しました。
いま活動しているようなこととはまったく別の世界にいましたし、能楽師の家に生まれたという生い立ちでもなく、誰も想像だにしないところからのスタートです。その話をするとみなさん驚かれます。
しかし、剣道をはじめ武道は子供の頃からやっていて、今となれば神道流など古流武術も含め武道歴30年以上になりますし、能の仕舞や謡(観世流)も始めて10年以上になります。また、最後にやっていたバンドが民族楽器を含む大所帯ジャムバンドで、私は武道経験を活かして着物と仮面で「剣の舞」を舞うフロントマンを担当していました。その演舞が評判良くてソロでも和太鼓や小鼓、笛などとのコラボレーションをしていて、それが直接的には武楽の前身とも言えます。
そんな折りに、大きな転機が訪れました。私の母が心筋梗塞で急逝したのです。
私が企画したライブイベントの当日であり、弟が大学の卒業旅行で中国に発った翌朝。誰も予測しなかった突然の別れ。リウマチで全身が激痛の毎日を送っていた母親の「自慢の息子」になるのが私なりの親孝行でした。その目的を失いハードディスクが消去されたような大きな喪失感の中、天啓を受け「武楽」の100年200年に渡るビジョンが一気にダウンロードされたかのように降ってきました。
漫画のための物語やキャラクターを作ったり、絵やデザイン、音楽活動と舞、それに伴うイベント企画・主催、それぞれが、別個に組み立てていたジグソーパズルと思っていたものが、「武楽」というピースが降ってきた時に、人生全体で大きな一つの作品を作っていたことが分かったのです。
トラウマになるような嫌な思い出も含め、遠い過去にさかのぼってすべてに意味があったという気付き。器用貧乏で、何者でもなかった自分が「武楽」を通して「平和で美しい世界の実現に貢献する」という使命を得て、「何者か」になったターニングポイント。私は救われました。
この体験のシェアは、皆さんの悩みや苦しみを和らげられる可能性のあることがらの一つだと認識しております。
その後は、様々な先生について、本当にすごく勉強をしたと思います。「こういう先生がいるよ」と聞けば、そこに行って教えを請う、ということを続けてきました。当然、最初は他の仕事をしながらです。
--成功したことや失敗したこととして、思い出深いことはありますか?
成功といえば、まず、旗揚げ公演のときの映画のようなエピソードが印象に残っています。
私のなかで武楽の完成形のイメージはあったんです。楽器の演奏があり、複数の演者が舞台で演じているような。ただ、当然ながら世界中のどこにも「武楽師」という、武楽を演じるプロはいませんでした。もちろん、私も練習しなければいけない。そういう状態からスタートでした。だから、「これは5年くらいかけて、仲間を集めてこういう状態になるのかな」とイメージしていました。
ところが、あるきっかけがありまして。もともと私はバンドも10年以上やっていました。しかも、大学時代は当時ブームだったニュースクール・ハードコアバンドで「デス声」と言われる独特の声でボーカルとして歌っていました。リジッドサスで車高の低い漆黒のアメリカンの単車にセパハンで、足も手も前に伸ばしたスタイルで(笑)
だから、欧米のアーティストのような太い声にあこがれて。CDのジャケットも向こうのほうがおしゃれですし。その当時の美大生はヨーロッパのデザインのほうが格好いいと思っていましたから、西洋のほうに振り切れていたんですよね。私も同じで。だから、日本文化というものからは遠く離れたところにいたんです。それが、海外旅行での経験などから、日本の良さがわかってきて、180度転換、極端に日本文化に戻ってくるということになった。なので、日本文化を最初からそれこそ盲目的に信奉していたわけではなく、海外の良さと日本の良さを知った上での現在の活動になっています。
--そこからどのように舞台に結びついていったのでしょうか?
バンドって、自主公演をやるんですよ。そういうときに対バンといって、3バンドくらい集めて、企画してフライヤー作って告知・集客してというのをするのですが、私がそのオーガナイザーの仕事をしていました。
ある日、オーガナイザー仲間から、新宿御苑前にあるギャラリーカフェで、急遽「イベントをやる予定の日に仕事でできなくなったので、代わりに何かやってくれないか」と頼まれたんですね。予定日が1カ月後くらいの話なんですよ。1カ月で、まだやることも決まっていない。その友人がやる予定だったことは、彼がいないとできないことで。じゃあ、私たちは何をやろうと言ったときに、ハッと武楽が思い当たった。
そのときに、構想はもう固まっていました。かと言って、実現には5年くらいかかるだろうと思っていたものですので「1カ月後にはさすがにできないだろう」と思ったのです。ただ、その時になにかピンときて、「あ、これをやるんだ」と思ったんです。
それで、ひとまずその会場を見に行きました。行ってみて、働いているスタッフさんと話をしたところ、「次の日曜日に琵琶の人が演奏しますよ。見に来たらどうですか」と誘われて、それで見に行ったらその琵琶の方と意気投合して、武士が登場する曲を琵琶演奏(語り)していただき、それに合わせて私が武道の演技をすれば形になるでしょうとなった。しかも、その方の旦那さんが太神楽の篠笛と能管という能の笛をされていて。そのような経緯で琵琶と笛(の奏者)が見つかって。
それから、私にとりましてSNSは織田信長公における火縄銃のような存在だと感じておりますが、当時はmixi(SNS)が流行っていて、コミュニティで調べてみると近所の人とかで意外と古武道をやっている方や舞をされている方などがいらっしゃいまして、お声がけしました。SNSはバーチャルな関係と思い込んでいますが、リアルな出会いの触媒ですよね。紹介者はSNS。すると、1週間ほどでメンバーが揃い、頭の中でイメージしていた通りに近い形になりました。
とはいえ、その時点で本番まではあと1、2週間で、告知も公演チラシもこれから。ホームページも無い。全員で集まれるリハーサルは2回。例えば琵琶という楽器は基本的には1人で語る楽器なので、能とか歌舞伎のような舞台での演奏は未経験。演者の皆さんも舞台とは無縁の方もいて、絵コンテを描いて、舞台経験者さんとも相談しながら貴方はこのタイミングでこうしてください、貴方はこう演奏してくださいと言って、せーの!で始めると形になっている。
チラシは、集客目的というよりも、ご協力いただいた皆様に記念として形に残すためにも作り、開催日の3日前くらいに刷り上がりでした。本番は、これまでのつながりや口コミで100人に近いお客さんがいらっしゃいました。
--出発点は、偶然の重なりだったのですね。
そのほかにも奇跡的なことがすごく多くて。その旗揚げ公演のときに、前のほうで大きなカメラを持って熱心に撮影している方がいたのですが、その人は、渋谷の街頭ビジョンの会社の方だったんですよ。それで「さっそく出そう」ということになって、いきなり渋谷の街頭ビジョンに映像デビュー。駅前スクランブル交差点やタワーレコードなど6か所で。
そのうえ、その会社はライブハウス渋谷O-EASTも経営していて、「じゃあそこでもやろう」ということになって、いきなり1300人規模の会場の広いステージで見劣りしないような人数で1演目やらなければならない、ということになりました。その模様は、渋谷エンタメフリーペーパーにも掲載されました。
--それでも実現できてきたということは、「やってみよう」というチャレンジの部分があったからでしょうか?
不思議ですよね。私、それまではどちらかというと完璧主義だったんです。思い描いているレベルじゃないと発表したくないという思いがあった。それがすごく大きくて、漫画ではなかなかうまくいきませんでした。私が好きだったのは、「AKIRA」の大友克洋さんとか宮崎駿さんとか、絵もストーリーもすごく緻密で、専門的な知識もあって、という作品で。それを一人でとなると途方もない作業で、なかなか発表にまで進まなかったんですね。コンプレックスでした。
ただ、武楽に関していうと、他の人もやっていないし、比べるものもなかったから、もうどんどんできた。とにかく、やることが決定しているので、「やらない」という選択肢がないというか。
--新しいものごとをやっていこうというのは、ビジネスでも大切なことだと思います。しかし、どうしても二の足を踏む方が多い。そこを乗り越えるコツというのは、なにかありますか?
コツというのかはわかりませんが、私の場合、先のビジョンまで見えていたんですね。(一つの公演を行うときも)その公演のことだけじゃなくて、その先にこうなっていく、というところが見えていた。
たとえば、柔道や空手みたいに、お弟子さんが世界に増えていき、そのなかの選抜メンバーが、シルク・ドゥ・ソレイユのように世界的な芸術集団になる。そんなイメージが湧いていました。
あと、それまで武道や日本文化と接点のなかった方にも武楽を通して和の心を世界に届け、それによって社会が変わっていくということが見えていた。何年先というのは分からないのですが、頑張ればそういうふうになるというのが、自分のなかで強く信じられた。
だから、モチベーションとしてはすごく高いんです。高くて情熱もありますし。もちろん、やればお金がかかるし、失敗することもあるかもしれない。それでも、やらない理由になるものがなかった。使命があるということが、人生の支えになったのだとも思います。それがなくなるというほうが、リスクでした。
--そのようなビジョンがあるから、他の人も一緒にやろうと思っていただけるのかと思います。
人に恵まれましたね。人に支えられてやれています。
--それは、源さんの人徳というか、性格であったり、人への接し方が影響すると思うのですが、いかがお考えでしょうか? 自分はこういうふうにしている、など。
どうでしょうね(笑)人徳を磨いていく過程が人生であり学びですよね。もともと、損とか得とかにほとんど興味がないし、そういう計算をしてどうこうしようということはないんですよ。そういうのが滲み出ているのかな、と思います。良くも悪くも、ただ純粋にやっているので。協力者さんのことを考えれば、もうちょっと計算したほうがいいかな、という部分はもちろんあるんですけど。
私も万能ではなくて、どちらかというと欠陥のほうが多いんですよ。たとえば、段取りとか片付けは得意ではなくて、散らかすほうで。とにかく、いろいろ広がって見えているのです。頭の中が。私のiPhoneのブラウザは、タブが300件くらい開いていますから(笑)でも、広がっていても、こっちとこっちは共通の話なんですよ。たとえば、能と武道と茶道って全然違う話じゃないですか。でも、それってどれも、武士が嗜みとした文化なんですね。
自分が好きな分類に集めるのが得意というか、そういうふうに見ているんです。一般の人が分類している分類とは違うかもしれない、私なりの分類で見えていて。だから、私の世界の分類では、古武道図鑑や刀剣武具図鑑、茶器、能の装束、城などが「武の美」の図鑑として一緒のまとまりになっている。
--新しいくくりをイメージされて、伝えていくというのが、源さんの特異な能力なのでしょうね。
一回散らかして、これとこれ、と。まったく離れたところをひとつにつなげられるというか、それがつながっていると見えていて。武楽も同じですね。離れたものがつながって見えて生まれてきた。
――ご自身の鍛錬とは別に、後進の方の育成や多くの人々に伝えていくという活動もなさっていますが、現状はいかがでしょうか?
いまは、この武楽という形を演じられる人は5人から10人くらいいます。能とか歌舞伎だとしたら、何十年もやって一人前になると思うのですが、それだととてもとても間に合わないので。もっと早いスピードでできるようになってもらいたいと考えています。
私自身もすごいスピードで学んだのです。「良い先生がいる」と聞けば、その先生の近所に引っ越して、2年くらい毎日お稽古をつけてもらったり。結局、お稽古って、今日やるのも明日やるのも同じ労力なんですよ。1週間に1回のお稽古だとしても、稽古する時に疲れるというのは、(毎日やるのも、1週間に1回なのも)同じことなんです。ゴールまでを俯瞰してみると、越えなければならないステップや壁はどんなものがあるのかが分かります。今日、今やれることを前倒しでやって、それらを早く超えてしまう。必要な技術を身につけなければならないというのは決定しているのですから、さっさとやってしまおうと。
私は、始めた当時が30歳だったのですが、10年でできるようになっても40歳、20年かかったなら50歳になるわけですから。50歳くらいになってできるようになって、「さあ本格的にスタートするぞ」となってもなかなか難しい。そう考えたときに、「一刻も早くしなければならない」と。
--目標設定がしっかりしていて、それが後押しするのですね。
普通は20年くらいかかるものを2年とかでできるのであれば、やってしまえばいいと。そう考えます。空海とか、まさにそういうふうにやったと思うんですよ。20年の予定を切り上げて、中国に渡って2年で、現地の千人のお弟子さん達を追い越して師である恵果阿闍梨の後継者となって帰国してしまうのですから。天才だったにしろ、並大抵の努力じゃなかったと思います。使命感が全然違うのだと思うんですよね。「私はこれを持って帰るんだ」という。
だから、為せば成るじゃないですけど、目的意識さえあれば20年かかることも2年でできると思います。そうなれば、あとは、その方法を探すのです。自分なりに。よく観察すれば、先生との違いとか、他の先輩との違いとかがわかってきますし。そうすると先生に質問もできるし、自分なりの稽古方法も編み出せる。
そこで見つけた稽古方法は、お弟子さんを育てるためにも当然効果がある。私の稽古は、普通はそういう教え方はしない、という教え方がいくつもあって。たとえば、通常ですと、稽古を通して徐々に鍛えられてくるものを、特化してそれだけを訓練するとか。そういうふうに、どんどん視点を変えていくんです。
能で言えば、仕舞の振付を覚えるだけなら、覚えるのが得意な人は30分くらいで覚えてしまいます。しかし、だからといって能の舞ができるかというと全然違う。身体がブレずに安定して美しくなるのに何年もかかるんですよ。それであれば、その部分に特化して、何年もかかるお稽古を1カ月くらいにできないか、と考えるんです。
--学ぶほうに求められること、というのはいかがでしょうか? どういう心構えを持てばよいのか。
やはり、目的意識になります。結局、「なんのために」は本人次第なのです。
--それは、他の人には与えられないもの。
武楽座に習いに来る人も、姿勢を美しくしたいとか、舞台に出たいとか、ゆくゆくは指導者になって海外の支部長になりたいとか、いろんな目的意識やモチベーションを持ってやっていますが、まずはそれらをはっきりさせる。もし本当に身に着けたいのであれば、自分を騙してでも目的意識を明確にする。半分くらい、自分を騙してもいいと思うんですよね。「これをやることによって、自分は世界を変えるんだ」くらいの気持ちを持つ。
--その思考になったら、考えすぎないで、そこに向けて動くと。
そうなんです。もう四の五の言わない。雨だから稽古行くのやめようとか、ちょっと遅刻しそうだから今日行くのやめようとか。そんなことはなくなります。
--社会人向けの教育でも同じ部分はあると思います。どんな教育も1日でなにもかもができるわけではなく、結局は本人がやりたいと思い、その後も続けるかどうか。それはその人次第。ただ、それが一番難しいとも思います。
そのあたりがうまくできているのが、昨今流行しているトレーニングジムなのかなと。トレーナーというよりは、モチベーターになるわけですよね。隣にいて「がんばれ!」とか言ったりする。
ただ、私たちもそこは課題です。「こういうふうにやれば、こういうふうにできるよ」ということを指し示すことはできるのですが、(スポーツの)キャプテンみたいに「やろうぜ、やろうぜ!」とか「なにやってんだ、もっと頑張れ!」とかはほとんど言わない。自主性に任せてしまいます。本当はそう言ったほうがいいのかな、とも思いますが。
--短期的な訓練だったら言ってあげればいいとも思いますが、長期的に、自分の人生のために、というのであったら違うのかとも思います。人生を通して、隣で言い続けることはできないので。
(育成や指導については)私自身の生き方というものが見本になりうるものであれば理想だとは思います。すべてはそうなれなくても、どうやって目標に向かって進んでいるのかという部分だけでも、見本になれればいいのかなと。
とにかく、現時点において「目的」は決定事項なんです。大前提として「目的」は、指標となる人生のミッションであって、そこに対してどうアプローチするか。たとえば、人を幸せにすると言ったって、いろんなやり方があると思います。美容であったり、教育であったり、いろんな方法があります。自分のやり方で、その目的に対してどうするかというのを、とにかくいろんな角度で見るんです。(私がおこなっている)そういう方法は、参考になるのではないかなと思います。
--静かなモチベーターというようなイメージなのかなと思います。「やれ! できるぞ!」ではなくて。
そうですね。とにかく、自分が人生において何を成したいのかをイメージさせたりとか、あるいは、いま守るべきものはなんなのかとか、そうしたものを折に触れて伝えます。
武道にもそういう要素があると私は考えていて。というのも、武道は突き詰めていくとひとつのことしかやっていません。それは、「自分の中心を守る」ということ。自分の中心を守らないとやられてしまうので、まず自分の中心を守る。その次にやることが、「相手の中心を取る」ということなんですね。それだけ。それを竹刀でやれば剣道だし、柔(やわら)の術でやれば柔道だし、拳でやれば空手なわけですね。全部、自分の中心を守りながら、相手の中心を取るということをやっています。
--「自分の中心を守る」とは、肉体的な意味もあると思いますし、精神的な意味もあるのかと思います。自分の中心である信念のようなものを作り、守るというような。
おっしゃるとおりです。
--さきほど、強い想いを持ち続けるといったお話を伺いましたが、ここにもつながるのだなと思いました。それは学びを深めていくためにも大切なものですね。自分の中心を守れるようになるためには、やはり訓練が必要なのでしょうか?
「中心が守れていないぞ」とか「もっと中心を取れ」とかいうのを、日頃からずっと言われていると、センサーが鋭敏になっていきます。中心が取れているかどうかというのが、わかるようになってくるのです。そうじゃない人は、最初から中心ががら空きなんですよ。明らかにがら空きでも気にならない。
雑踏の中とかで、もしかして通り魔みたいな人がいるかもしれないじゃないですか。何億分の一でもあり得る話として、みなさん無防備ですよね。そういうときにちょっと武道の心得がある人は、相手に対して少し半身を切っている。また、危うきに近寄らずじゃないですけど、先を見通してコース取りをしていくわけですね。
大体のみなさんは、目の前しか見ていなくて「ここをどう進もうか」なんですよ。そうじゃなくて、目的地はあそこなのだからと、(そこに対していち早く、危険の少ないコースで)すいすいと向かえる。
--中心が守れて、目的地を捉えているから、目の前の出来事にとらわれず、最短距離で先へ進めると。
その中心を、みなさん外しがちなんです。なにかやっているつもり、なにかやっている気になっている。たとえば会社で、それぞれ仕事の課題があるわけですよね。その課題に対して、なにかやっているふうですが、あまり効果がない場合って、中心を捉えていないんです。勤務時間はこなしているんですけど。かといって、課題が解決しているかといったら、1ミリも解決していない場合もある。
--それだと疲れていくだけなのでしょうね。手ごたえと言うか、やりがいがない。その部分を意識させるためには、話し合うという形で考えさせるのでしょうか?
そういう話を言うことはあります。たまにぽろっと言うのがいいんですよ。武道の面白いところというのは、学校の先生から「こうしなさい」と言われても言うことを聞かないかもしれませんが、習っている武道の先生から言われると、妙に心に響いてくる。
やっぱり、尊敬している相手、自分がこうなりたいと思っている先生であったり、そういう人が言う言葉というのは、同じ注意や教訓というものも違って聞こえる。誰が言うのかが重要なんです。みんなが納得したくなるような人物になれれば理想です。この人が言うんだから、みんなこれをやろうよ、とかね。
--それが、後進に伝えるためのポイントですね。
私自身も、皆のために自分自身を磨いていくのが仕事ですし、(同時に)次の指導者を育てていくことも重要です。
私は、誰かが既にやってくれていることよりも、私がやらなければ進まないことを、時間がかかっても茨の道でも、進む。
「武士」が“Samurai Warrior”と訳されることに違和感を感じました。武士が戦っていた期間はそれ以外の期間よりも短いですし、武術ばかりやっていたわけでもなく、城主であったりそれぞれ仕事をしていて、茶の湯や詩歌を嗜んだ文化教養人としての側面も武士の姿であることを含めた侍の美意識に、生き方のヒントがあり、それを世界に伝えたい。
それが「武楽」の活動を通した私の役割であり、「中心」の1つでもあります。
もし自分ができなかったとしても、次の指導者が引き継いでくれる。アシストでもいいんです。自分でシュートを決めなくても、アシストできて結果的に勤めを果たせればいい。全体が良くなればいい。こうした考え方も、武士が意識したであろう、中心を捉えたうえでの視野を転じるということなんです。守るべき「自分の中心」も、目的とする「相手の中心」も、視野を変えていくと長い目で見て解決や成長につながる。
もちろん失敗もあります。熱心だからこそ、良かれと思ってやったことが、誰かを傷つけてしまう事もある。進むということは摩擦も増える。誤解も増える。単車も止むを得ず雨の日に運転すれば事故を起こしてしまう可能性も増えますよね。起きてしまった事故は変えられない。変えられるのは捉え方と対処、用心だと思っています。
そして、私だけでなく、武楽を嗜み関わる仲間がそれぞれの役割を認識し担っていけば、結果として「平和で美しい世界の実現に貢献する」という「相手の中心」を取れると確信しています。
--最後に、源さんにとって「学ぶ」とはなんでしょうか?
学びが人生ですよね。人間の成長というのは、尺度が増えていくことだと思っていて。その尺度を増やしていくことだと考えています。
--尺度を増やすことで目的に近づけるのでしょうか?
武道でいえば、軸や中心を縦から見た時、横から見た時、上空から見た時、未来から見た時、というように色々な尺度があります。また、能や茶道など別の分野から見た視点の尺度もある。それは目的とそこに到達するまでの尺度であって、その尺度を増やしていくことで精度が増していく。それで、自分自身が磨かれていきます。こういうときはこっちを選ぶなど、基準ができるようになる。
それこそ軍師と言う人は、尺度がたくさんあるのでしょう。歴史から学んで、こういうふうに攻めてきたらこういくというのがあるから、アドバイスできるのでしょうね。
--その尺度を増やすために、学びや自己研鑽があるということですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました。
2018年9月11日 公開