日本では日韓共催ワールドカップがありました。阪神は2回もリーグ優勝を遂げました。念願だったウィンブルドンのセンターコートにも入れました。結婚もしました。妻によく怒られるようになりました。
留学しなかったら得られなかったであろうことは多くありました。アメリカのいい加減さとラディカルさも体験しましたし、イギリスの料理がこんなに美味しくないとは思ってもいませんでした。留学しないと得られない知識があるという話はシカゴの留学日記にも書きました(第20回)。
留学したからこそできた人と人とのつながりもあります。人のつながりは信頼によるところが大きく、その信頼にはフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションが大きな役割を果たします。どこで、だれと、どんな時間を過ごすかによって、できてくるネットワークは変ってきます。インターネットの中にはネットワーキングのサイトがたくさんありますが、やはりフェイス・トゥ・フェイスのネットワークとは質的には違うものです。
博士論文を書く中で、いろいろな人と同じ課題に向かって、時間をすごすことができました。指導教授たちとは常に密接な、時に密接すぎる時間がありました。同じプログラムの仲間たちや、他大学の先生や学生ともワークショップで毎週、毎週、研究発表をし、「あーだ、こーだ」言ってたわけです。はたから見れば「毎週、毎週、飽きもせず同じようなこと・・・」と思われるような時間ではありますが、濃密な時間でした。その時間のおかげでいろいろな人とのネットワークができました。
また、イギリスやアメリカには、日本よりも多くの“社交の場”があります。小さなBBQや食事会から大規模な懇親会まで様々です。その“社交の場”にでていかないといけないプレッシャーは実はかなりのものです。日本人は、そういった見知らぬ人が集う“社交の場”にでていくことはあまり得意でありません。少なくとも僕はあまり得意なほうではありません。特に、英語ができなかったり、なれない環境だったり、誰も知っている人がいなかったり、社交の仕方が違ったりするわけですから、パーティーなどでポツンと1人になることもあります。寂しいですよ。でも、出会いに照れずに、できるだけそういう場に出て行くようにしていました。残念ながら、パリス・ヒルトンやヴィクトリア・ベッカムとは知りえませんでしたが、むさ苦しく厚いメガネをかけた人たちとはたくさんつながることができました。
2001年に日本を離れ、アメリカとイギリスで研究してきました。海外で研究している年数の方が日本で研究していた年数よりも多くなりました。おかげで、海外にネットワークもできました。単なるビール飲みネットワークかもしれません。こうしたネットワークが本当に必要かどうか、どのくらい役に立つのかも分かりません。
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