スポーツは、芸能人のゴシップとともにいつも大衆紙をにぎわしています。自国の選手やチームにたいして過剰な期待はどんどん膨らんでいきます。世界ランキングが10〜20位ぐらいのイギリス人テニスプレーヤに毎年ウィンブルドン制覇を期待しています。もちろん、自分の国の選手やチームに対する期待が過剰になるのは、イギリスばかりではありません。アメリカでも日本でもどこでも同じです。ただ、報道の内容とそれに対する人々の反応を見てみると、アメリカ、イギリス、日本では「空気」に少し違いがあるようです。
アメリカのスポーツ報道はイケイケ・ドンドンなものが多いのですが、人々は好き勝手なことを言い、あまりコンセンサスもありません。イギリスは自国の選手・チームには大きな期待を寄せてはいるものの、懐疑的、悲観的な空気があります。たとえば、「イングランドは絶対勝てると思う。」と公言するのはどこか気が引けるというような雰囲気が常にどこかにあります。多くのスポーツ発祥の地だというのに、最近では全く勝てないので、悔し紛れに皮肉をいうしかなくなっているのかもしれません。
日本は、「自国の選手・チームの勝ちを信じて応援しましょう!」という報道が多いような気がします。「勝ちを信じて応援するのが日本人としての正しい観戦の仕方」という「空気」ができ、「いやー。そうはいっても、日本はぼろ負けだと思うよ」などとは決して言えません。そう思っていたとしても、決して口に出せる「空気」ではないのです。
「空気」。「空気を読む」のはみんなとうまくやっていくすべであり、「空気」の中にいて、その「空気」にしたがっていると、気持ち良いし、連帯感を感じたりもします。アメリカでは、空気を読むというよりも、みんな好きなことを好きなときに自由に言います。そもそも「空気を読む」という感覚もありません。イギリス人は、ある「空気」にたいして悲観的、皮肉的なことをどうしても言いたくなるようです。もちろん、パブで「イングランドはきっと次で負けるんじゃない?」などといったら、すぐにビールで殴られるでしょう。オシッコもかけられるかもしれません。ただ、それはあくまでも「空気」がそうさせているわけではありません。彼らは本当にそう思っているのです。
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