漢の高祖が、秦を滅したとき、国の人びとに始皇帝の決めた法律をすべて廃止して、たった三章の簡単なものにすると約束したことが出典です。
「史記・高祖本紀」によれば、「吾れまさ関中に王たるべし、父老と約すらし、法三章のみ」とあります。「私はすでに関中を制して、匡王となろうとしております。ご先祖に誓って約束しますが、法は≡章だけとするように致します」ということです。
この逸話は、漢の高祖である劉邦の治政が、すぐれたものであったことを物語るものです。ご承知のとおり、漢は中華民族が異民族を制して、もっとも強力な体制を確立し、その独自の文化を咲かせた国であり、法制も整備された国であっただけに味わいのある文章です。
秦の法律は、複雑な上に苛法であり、人びとは長年にわたって苦しんでいたため、安全が保障されたうえに、法が簡単になったのを喜んで、民はこぞって酒食を献上したと伝えられています。しかし、彼はほとんどそれをも受け取らず清潔な政治に励んだということです。
中国古代の君主の逸話は、現代社会にも生かすことができ、応用することができます。国の法体系が複雑多岐で、一般に分からないような文章となっているため、専門家や官僚の手を経ないと現実にどのように読んだらよいのか、どのように運用されるのが正しいのか見当がつかないということがありますが、これは決して好ましいことではありません。法治国家である以上、法律によって政治がなされるのは仕方ありませんが、新しい法は分かりやすい簡単なものでなければならないはずです。
企業経営についても同様なことがいえます。会社の規定集などを調べてみると、膨大なボリュームであるだけでなく、文章が読みにくく、しかも相互の関連性が、つかみにくいものが少なくありません。 専門の職員でないと書いてあることが分からないような規則では困るはずです。仮にその内容が理解されても、実施するときの役割分担や、管轄の所在が不明瞭ですと運用に支障をきたすことはもちろんです。
管理者の立場にある人が、規則の精神を体得しておれば、すべての人が規則に通じていなくても、立派に規則は運用されていくものです。
また、過去のしきたりや、事例に明るくないと、経営上の決定にも差し支えがでるような企業体質では好ましいものとはいえません。
設立時の創業の精神とか、会社の運営の基本方針については、難解で一般の若い人が理解できないようなものでは意味がありません。
やさしい言葉に置きかえる必要があります。
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