漢民族の王朝であった南宋の末期に現われた有名な忠臣、文天祥は元軍に捕えられたとき、獄就中にあってその筋を曲げず、「正気の歌」を作りました。その語文の冒頭の部分を引用してみると「天地に正気あり、雑然として流形を賦す下は河獄となり、上は目星となる。人においては浩然の気となり、沛乎として蒼冥にみつ」とあります。つまり、「天地のなかに正気というものがあるが、混然としてはっきりしていない流動的なものである。この正気は地上では河や山となっているが、人に乗り移ってくると、広々とした志気として、蒼い海一杯となる」と唱っているのです。
最近、中国から「気功の術」が導入されて私どもの関心を集めています。「気」とは何か。元気、根気、気合などの「気」です。「気」は現代の科学や最新の医学でも解明されないような不思議なエネルギーの根源としてその存在が確認されています。
「正気」は、天地宇宙の根源となるエネルギーの一つです。
「正々堂々」という言葉があります。この言葉は「孫子・軍学」の「正正の旗をうつなかれ、堂堂の陣をうつなかれ」からでています。「きちんと整っている軍隊や士気が上がって進軍してくる軍隊はそれを迎え撃ってはならない」ということです。
孫子は、戦術の用法について、古今独歩といえるような方策を考え出した人ですが、オーソドックスな戦法として、戦う将兵の士気が上がっている敵には、しかけてはならないと教えているのです。
この言葉のなかにある「正正の旗」という使い方は、現在では見られません。しかし、「正義の御旗」 「正義の旗のもと」などのように使われることがあります。
また、他の中回の諺として「四知」というものがありますが、これは、「後漢書・楊震伝」に出てくる「天知る、神知る、我知る、子知る、何んぞ知るものなしといわんや」という文章から取られたものです。
後漢の著名な政治家の楊震によって推挙された王密は、夜中に楊震の家を訪ねて賄賂を贈ろうとしたとき、「今は夜ですから、誰も見ていませんよ」と受け取るようにすすめたのでした。すると楊震は、「天や神が知っているだけでなく、私が知っており、しかも、あなた自身が知っているではありませんか」といって断ったのでした。
楊震の態度はまさに、天地に恥ない「正々堂々」としたもので、このような正しい行動を堂々と貫く人に対しては、攻撃する手だてがないかも知れません。一見、この古くなったような、中国の訓戒は、現代社会に生きているのです。
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