後世畏るべし
若者や後輩といった後から生まれた人びとは大きく伸びる可能性を持っているのであるから畏敬したいものです。
この言葉は、「論語・子罕篇」で孔子が述べたものと伝えられています。語句に続いては「いずくんぞ、来者の今に如かざるを知らんや」。つまり、「後輩にも凄いのが生れてくるかも知れないのだぞ」とみずからを戒めているのです。
原文では「後生」と記されていますが、後に「後世」と書かれるようになり、後輩というより、後の世という意味にも使われるようになっています。「後輩や若い人は……」というように受け取った方が孔子の考えに近いと思います。
「最近の若い者はなっていない」などとぼやく上司は、新しい時代の人材の資質をよく見抜き、自分自身も研鍵にはげまないと遅れをとることになるでしょう。
孔子の遺訓解訳については古今を通じていろいろの解訳がみられますが、孔子を「聖人君子の近寄りがたい人物」として捉えるより、「親しみやすい人間学コンサルタント」として考える学者が多くなっています。つまり、失敗や誤りを犯し、しばしば他の人からひやかされたり、嘲笑されたりする人の方が、完璧で人間ばなれした人よりずっと共感を覚えるということです。
「最近の若いものはなっていない。別の人種、民族のように話が通じないから、意識改革が必要だ」などとよく話している中間管理職の課長クラスの人が学ぶべき言葉です。
次の世代を担う人材は若者のなかにいることを認識して、彼らの考え方をフォローしていけるようでなくては、管理者失格のおそれがあります。特に、採用担当の人事部員にはよく味わってほしいものです。
「今年の学生は、小粒で自分の意見が出せない」とか「どの学生も、均一化されていて面白味がない」などというのは、その担当者の能力を疑うものです。
なによりも、若い人の気持ちの中に入り、本当によいところを引き出すようにしないと、本音で応対してくれないはずです。逆に、老成した考えで、年配者に従い、その価値観に同調するような若者はかえって敬遠した方がよいかも知れません。また、やたらに自己アピールが強すぎるのもいかがなものでしょう。若者のなかから人材を発見するためには、まず、採用担当者の姿勢をただし、考えを新たにする必要があろうかと思います。
かつて、筆者が採用担当を務めていた当時のことを反省してみて、まったく恥かしい思いがします。きっとすばらしい資質を持った人を見逃していたでしょう。
私事ですが、棋界の羽生善治さんは、22才の著さで、あまたのベテランを倒すという実力を備えていましたが、お会いした折、私は彼の実力を発見することが出来なかったという後悔があります。
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