余地

よち・・・・・
余裕のある場所をいいます。ここでは、人との交際のときに譲れるだけのものを十分残し、ゆとりのある形で付き合うことをいいます。

  「荘子」魏惠王の篇にでてくる面白い逸話に、「余地」があります。その内容は次のようなものです。
むかし、包丁という名料理人がいて、王の御前で一頭の牛をさばくことになりました。包丁は、牛の肩に手をかけ、足の位置を定めたかと思うと、みるみる肉が骨から離れ、あざやかな刀さばきで、踊りをおどっているような動作をしているうちに、なんの苦もなく解体を終えたのでした。
王が感心して褒めると、包丁は、「私は、牛をさばくのにただ技や力でやろうとは思っていません。精神を澄ませて、牛に向かうことによって、自然の摂理に従って骨、筋、肉のあいだにある隙間を見いだし、そこを切り開こうとするのです。したがって、骨や堅い部分には触れることなしに、隙間から刃を入れることで解体します」と答えました。

この隙間を「余地」と呼んだことから、人間関係の交際に応用するようになりました。
つまり、ギリギリのところまで押しすすめた形で交際すると、ともすれば、人間関係をそこね、「刃がこぼれてしまう」ことを戒めているのです。

現代社会の厳しい利害関係のなかで、「余地」を見いだすことは、なかなか難しいといえます。相当な熟達の士でも、どうしても人間関係がギシギシしてしまうのが常です。
しかし、スピードと正確さを極限までつきつめたコンピュータの時代にファジィ理論のようなぼんやりした余裕を認める考え方が生まれたのは興味あることです。いわば人間に優しく、誤差や錯覚を包み込んで行く理論といってもよいでしょう。
料理の名人の包丁は、牛を自然の摂理に従ってさばくのだと言った訳ですが、人間関係にも隙間や誤差が自然に存在するのかも知れず、それを計算に入れるのは新しい考え方といえましょう。

昔の名匠や武将といった達人は厳しい修練のなかに「余地」を見いだすことを大切にしていました。木部の伸縮や地震のショックをやわらげるために「遊び」の部分を残したことも故人の知恵といってよいでしょう。

かつて、修行中の宮本武蔵は、沢庵和尚に「お前は強すぎる」とたしなめられ、名妓といわれた吉野大夫の許へ遊びに行くことになりました。吉野大夫は、自分の大切にしていた琵琶を武蔵の見ている前で打壊して内部を見せ、組み立てられた木部の継ぎの部分に少しづつ、ゆとりのあるのを示して、よい音を出す名器の構造から、道のあり方を示唆したのでした。

厳しく他人を追いつめたり、自分に厳格な戒律を強いたりしないで、少しづつ「余地」を残した方が、自然にかなっている生き方なのです。

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