花は半開を看、酒は微酔に飲む
花は半開の五分咲き程度の時期に観るのがいちばんよい見所であるといえるし、酒はほろ酔い気分位で度を超さない位の分量を飲むのが、適量だといえましょう。酒を飲みすぎて醜態を演ずるようではいけません。
原文は、「菜根譚」から引用したものです。酒にまつわる格言は多数みられます。「漢書・食貸誌」では、もっぱら酒の効果を賞賛する方にまわっており、「酒は天の美禄」とか「酒は百薬の長」というように、もっぱら酒を飲むための口実に使われたりしています。
逆に「酒は狂い水」とか「後世・必ず酒を以て国を亡ぼすものにあらん」といって、すぎた酒をいましめているものもあります。「酒池肉林」は、史記の殷本紀のなかに見られる言葉ですが、原典では、「酒を以って池となし、肉を以って林となす」とあり、殷の紂王が、酒
に溺れて国を亡ぼしたことをいったのです。
孔子は、「酒は量なし、乱に及ばず」(「論語」郷党)といっています。酒が良いとか悪いとかではなく、適量であるかどうかが問題であり、これは、個人差や状況の違いによって変わってくるのですから、ほどほどの酔いはよいということになるでしょう。
筆者の中国人との交流の際の体験談を上記のことわざに照し合わせながら反省してみますと、格言どおりうまくいってはいないようでした。
まず、ビジネスの宴会で酒を飲む場合は、中国本土でも、華僑グループと飲んだときでも、気を許して大いに乾杯を重ねる方が喜んでくれるようでした。そして、同量をイーブンチャンスで飲むようルールづけられており、杯をすすめて受けないときは、大いに不満とする様子で、つい飲みすぎになっていました。
気を許して泥酔すれば、その人の気質が知れてしまい、場合によれば危険でさえあるわけですが、それもいとわず飲んでくれたということを評価しているようなところがうかがえました。
つまり、中国の聖人君子のすすめた遺訓を忘れて飲んだという所を逆に「朋友の証」と見てくれているのかも知れません。 しかし、健康上の建て前からいえば、飲みすぎがよくないことは明らかであり近年では自粛の傾向もあるとのことです。
台湾駈在中に、有名な将軍で90才以上の長命な人をお尋ねしたときには、やはり「酒は百薬の長」であるとされ、極上の酒を毎日少量づつ楽しんでおられるとのことで、精神的にも肉体的にも、酒は人生にとって有効であるとおっしゃっていました。
サラリーマン生活はストレスも多く、夕刻から赤堤灯で友人と一緒に気ばらしの杯をかた
むけるなどは、酒の効用の最たるものの一つでしょう。
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