■バズワードを超えて
いつみてもすごいと思わされるのが、満員の通勤電車の中で日経新聞を縦に細く折りたたんで、そのハリセン(ちゃんばらトリオが使っていたようなやつ)のようになった日経を、手馴れた技を駆使しつつ、ものすごく限られた空間で最初から最後まで読みきってしまう熟達のおじさんである。
見かけるたびにみようみまねで挑戦してみるのだが、どうしてもうまくいかない。ただでさえ他の新聞に比べて日経は厚いのに、ハリセン化するのはなぜか日経新聞であることが多い。本当にすごい技だ。「新聞狭い面積で読みきり世界選手権」があったら選手層が一番厚いのは日本だと思う。
ところで、そこまでして毎朝読むということは、よっぽど紙面に価値があるということなのだろう。
日経新聞の人は嬉し涙を禁じえないはずだ。日経のどの辺に情報価値があるのか。満員電車の「匠」の面々に聞いてみました。一番多い答えは、「日経を読んでいないと仕事にならない」というもの。僕は日経を読まないで仕事にかかることも多々あるので、本当に仕事になりませんか、としつこく食い下がってみる。すると、「日経を読まないと、なんだか仕事をする気にならない」というのがより正確な表現らしい。
つまり毎朝仕事に向かって自分のギアをシフトしていくときのきっかけみたいな意味があるらしいのである。お相撲さんにとっての塩のようなものだ。意外と多いのが、「勉強になるから」という答え。ニュースや情報よりも、それを取り上げる視点なり切り口、特集記事が勉強になるというのである。どのあたりが勉強になるのかといかにもパワー・エリート然とした商社マン33歳にたずねると「いや、最近さ、Eコマースとかさ、ディスインターメディエーションでしょ、商社もITの波の中でメガ・コンペティションだし、僕自もドッグイヤーの中でマーケット・バリューを高めるためにコンピテンシーをつくっていかなきゃならないし・・・」と、出てくるわ出てくるわ、次から次へと「勉強の成果」が開陳されるのでありました。
Eコマース、ディスインターメディエーション、コンピテンシー、こういうのをひっくるめて「バズワード」という。
つまり「流行りの決まり文句」である(だったらはじめから流行り言葉とか日本語でいえばいいのに、ついバズワードとかいってしまう自分が読者迎合的である)。バズワードの特徴は次の三つである。
第1に、その意味合いを本当に理解している人がとても少ない。
第2に、その言葉を口にしたとたんに思考停止に陥る。
第3に、5年後にはほとんど見かけなくなる(バズは旬のもの)。
バズワードは何も生まれたときからバズワードだったわけではない。メディアにもてあそばれているうちにだんだん黒ずんできて、その荒波をかいくぐったものだけが真のバズになれるのである。
いまのところバズ界の東の正横綱はなんといっても「IT」であろう。森総理からもたびたび発せられるようになったこのバズは、もはや黒光りしているといってもよい。
バズワードの生い立ちには、おおまかにいって次の5つがある。けっこう多いのが、「ただの英訳」というやつである。ITがその典型である。IT=Information
Technology=情報技術。「情報技術」という言葉はその昔からあるのだが、これが英訳されると時代の波に乗ってブレイクすることがある。最近では「もう情報技術の時代じゃないでしょ。これからはITだね」などとミステリアスなことをいう人もいる(いないか・・。でも森総理あたりなら言ってもおかしくない)。「B2B」(企業間取引のこと)とか気の利いた略語になるとさらにパワーアップする。
2番目が「形容詞」もの。これまである言葉や概念にそれを強める形容詞がついてバズになるタイプ。「ニューエコノミー」とか「メガコンペティション」とかがその例だ。
3番目は、2番目と一部重複するのだが、「現象」ものである。ビジネスの現象として広まっているものをとらえた言葉がバズ化することも多い。「ディスインターメディエーション」が典型である。「ドッグイヤー」とかわかりやすい比喩をかますことがバズ化のカギであろう。
これと似ているのだがちょっと違うタイプとして、「方法」ものとでも呼ぶべきタイプがある。新しく広まっているツールとかシステムとか制度とかをとらえたもので、「インターネット」とか「EVA」とか「ストックオプション」とか「執行役員制」(英語でなくてすいません)がこれにあたる。SCM(=サプライチェーンマネジメント)のように3文字英語で多くの人に伝わるようになってくるとバズ化もかなりのところまで進んだと判断していいだろう。
最後のタイプは「概念」ものである。これは方法ものと重なることもあるのだが、もう少し抽象的な、普遍性の高い意味内容をもっている。「複雑系」とか「創発」とか「収穫逓増」とか(このへんになると、なにぶん概念なので日本語のままであることも多くなってくる)、「コーポレート・ガバナンス」、「コンピタンシー」、「コンピタンス」、「ケイパビリティー」がこのタイプである。ずいぶんとおちょくっているようにみえるかもしれない。しかしそうではなくて、こういった言葉をバズワードとして終わらしてしまってはもったいないというのが僕の言いたいことなのである。バズをバズとして受け流し、言葉を知っただけで賢くなった気になったり、勉強した気になったとしても、実際はなにも変わらない。
流行る言葉にはそれなりの理由がある。世の中の動きの本質を捉えていたり、ツールとして大切だったり、重要な普遍的洞察を含んでいるはずである。その意味や背景にある論理、インプリケーションを立ち止まって考えて、自分の頭で地に足のついた理解を心がけるべきである(そのためには、ハリセンスタイルはあまりお勧めできない)。特に最後の「概念」出身のバズは、その本質的な意味合いを深く考えてみれば、新しい思考を切りひらくようなものが少なくない。思考のエンジンとなってこその概念である。
いまはバズワードとしてぴょんぴょん飛びかっている言葉でも、そういうラベルを使わないと本質的な意味内容が表現できない、やむにやまれぬ論理と必然をもってそもそもは出てきた概念なのである。「メガコンペティションって何でしょう?」「そりゃ、すっごい競争でしょ」「コアコンピタンスの意味は?」「中核的な強みのことだよ」「じゃあ、ニューエコノミーは?」「そりゃあ、これまでとはまったく違う経済の到来で・・・」「なら、複雑系の経営っていうのは?」「いや、まあ、とにかく世の中複雑なんだよ・・・」それではお聞きしますが、規模の経済と範囲の経済と収穫逓増の違いは?」「うるさいな、もう。パシッ(日経ハリセンで僕の頭をたたく音)」。こういった会話をする素質のある人は、次回もぜひおつきあいください。「ケイパビリティー」の概念を例にとって、その言葉の奥にある意味とインプリケーションを考えてみます。
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