朋あり遠方より来る
心の友と呼べるような親友が遠くから訪ねてきてくれるのは、たいへん増しく楽しいものです。特に同好の志を持つ者が集まってくることは人生を豊かにします。
「論語」の「学而編」の中にあり、「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」と続きます。人生の最高の楽しみの一つは、仲のよい友人とともに酒をくみかわし、歓談することであるという、孔子の人間味のある喜びが、この一語から伝わってきます。古代中国では、人間は腹の中で、ものごとを考えるとされていたようで、「肝胆相照らす」という言葉があります。「肝胆」は、肝臓、胆嚢のような人間の内臓です。つまり、考え方がお互いに照し合うように、よく見え通ずる友人ということです。
多くの友人があっても、趣味が一致しているとか、おなじ志で一筋に生きている人と掛合うチャンスは稀であり、折角出合いがあっても、いろいろの事情で、遠隔の地に住まなければならないことも少なくありません。そのような遠い場所から訪ねて来た親友と久しぶりに近況を報告し合ったり、意見を交換したりするのは、人生の大きな楽しみであると同時に、人生そのものを豊かなものにします。
中国の人びとと交際してみると、彼らが絆を大切にするのに驚きます。そして、古い友人はおたがいに「老朋友」と呼んで、親身の交際に入ります。商取引の場合でも口約束や簡単なメモだけで十分信用できるのは「老朋友」の間柄に入ったときです。政変があったり、組織が変ったとき、信用できるのは、友人関係だということを十分体験の上で知っているからです。
台北で数年間暮してみて、華僑の団結のなかには幣による集団、つまり郷土のつながりや親族の結びつきの他に、ピンチになったとき助け合った友人関係がとくに強い影響力を持っていることがよく分りました。久しぶりに再会したときの歓待ぶりは、驚くほど手厚いもので、至れり尽くせりです。
親友とのあり方は別項で述べることとし、ここでは孔子の「旧友に対するあり方」について説明してみましょう。
「論語」の徴子編に「故旧は大故なければ則ち棄てず」という訓言を残しています。これは、「古い友人は、よほどのことがなければ見捨てはしない」という意味です。つまり、古い友人に多少の過ちや裏切りがあっても、それは許すといっているのです。
古い学友とのつきあいでは、憤慨させられるような仕打ちを受けても、それをあまり咎めだてしないでおく、というのがこのケースです。小・中学校時代の友人は限定された範囲で、しかもたくさんの古い思い出によって結びついています。
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