成らぬ堪忍、するが堪忍

どうしても我慢できないようなことを許すのを堪忍というのであって、普通に簡単に許せるようなときは堪忍とはいわないのです。自分が寛容であると考えている人は、許すということの心構えがほしいものです。

  まず、我慢のできないこと、あるいは許すことのできないことという事例について、中国の有名な故事を紐解いてみましょう。
 漢の統一における功労者であった大将軍韓信についての逸話です。
 彼は、若いころ家が貧しくて食べるものにも事欠き、釣りをして空腹を凌いでいたことがありました。気の毒に思った老女が飯を恵んでくれたことさえありました。
あるとき、町の無頼の者が「お前は長剣を下げているが、出来るものなら、おれを斬ってみよ。できないならおれの股の下をくぐってみよ」と嘲ったのでした。韓信はしばらく相手をにらんでいましたが、やがて這いつくばって、その無頼の者の股の下をくぐったとのことです。「韓信の股くぐり」と和漢折衷の格言となっています。
 公衆の面前で侮辱を受けて「市の人背信を笑いて怯となす」というような状態に忍の一字で耐えぬいたからこそ、将来の彼があったといえましょう。

 現代の社会で生活をしていると、人の一生のあいだには、耐えられないような屈辱を味わうことがあると思います。
 そのときに、どのように対処するかによって生涯に大きな影響を与えることになるのですから、出来るものなら耐えぬいて、その場を切り抜いて行きたいものです。
 ビジネス社会で起こった場合の例を挙げてみましょう。
1)重要取引先の担当者が、些細なことに文句をつけて、他の業者の前で面罵した。
2)上司のなかに、好悪の極端な人物がいて、肉体上の欠点について宴席で笑いものにされた。
3)努力を重ねて業績を上げ、会社に貢献しているのが明らかなのに、評価されずにないがしろの処遇を受けた。
などが、代表的な例でしょう。

 このような許しがたい屈辱を受けたとき、すぐに反抗的になって、言葉を荒らげて相手に噛みついたり、辞表を出したりするような短絡的な行動は慎むべきでしょう。
 ものごとは許せることと許せないことがあるのも事実でしょうが、人間関係でおきたトラブルについては、一旦は忍の一字で引き下がり、後日に冷静な判断にもどったとき解決を求める方が、適切な行動がとれるものです。
 また、韓信が耐えることができたのは、彼には他に大志があったからで、その希望をかなえるためには小事にかかわっていてはいけない、という自戒の念が強かったからだと思います。
 人間的な修養を積んだ大人物であれば、多少のことで動揺し、取り乱すことはないでしょうが、一般的には、そのような境地に到達するのは難しいものです。
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