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■愛知学院大学 経営学部 助教授 島本 実
■プロフィール
1969年、生まれ
一橋大学社会学部卒業、同大学院商学研究科修士課程、同博士課程修了
一橋大学博士(商学)
現在、愛知学院大学 経営学部 助教授
研究テーマは技術政策論、産官学プロジェクト論
主な論文は「革新官僚の台頭」『ビジネスレビュー』第45巻第4号、「YS-11プロジェクトの組織デザイン」『一橋論叢』第121巻第5号など


80年代の教え


 
私が大学に入った頃はバブルの絶頂期だった。80年代末の東京はこの世の春だったらしい。「らしい」というのは、当時私は四人一間の寮暮らしで、貧乏学生仲間で安酒をあおっている間に90年代になり、景気は転がる石のように急降下してしまったからだ。ちょうど私が就職活動をするころから、長く続く厳しい時代が幕を開けた。こうした経緯を振り返ってみると、なんとなくおいしい思いをする前に、ババだけ引かされたような気分になる。現在20代終わり頃の人には、こうした気分がわかってもらえるかもしれない。

 80年代から90年代はじめの経営学もこの世の春だった。日本企業の躍進とともに、日本企業は実は「遅れて」いたのではないという自信が生まれ、日経新聞などは諸手をあげて日本的経営を賞賛した。それと同時並行するかたちで大学でも日本企業がいかに素晴らしいかが、学問的に検証されつつあった。中間組織の概念は系列のメリットを説明し、知識創造論は日本企業における暗黙知共有のメカニズムを明らかにした。もちろんこうした日本の経営学の業績は現在なお決して色あせたわけではない。それでも大学でこの時代に書かれた本を読むときには、学生がいきなり手を挙げて「先生、それってもう古いんじゃないですか」と言うんじゃないかと不安になることがある。彼らの感覚からすれば、実際の日本企業の経営は80年代に賞賛された日本的経営のメリットを、まるで覆すように展開しているようにもみえるだろう。

 終身雇用は、事実上もう反故にされても文句は言えない。実際に、よい企業に入ったと思ったらその年にツブれてしまうような事態もめずらしくない。終身雇用によって、企業内のキャリア階梯をのぼっていくという前提があってこそ、企業は社内教育を行い、従業員もその企業独自の知識を身につけることをいとわなかった。しかし、その前提が崩れてしまうならば従業員としては他企業でも評価されることを前提に能力の向上に努め、企業もわざわざ高いカネかけて社員教育をするより、「即戦力」を錦の御旗に中途採用者を採った方が利口だということになる。ツブれるような組織にい続けたお前が悪いと言われるような時代において、組織に忠誠を誓う義理はなく、そもそも組織もいざというときに助けてくれる保障はない。

 人材の流動性を前提とすれば、企業は人材の質を図る際の尺度が必要となる。その一つが伝統的には学歴であったが、最近ではそれよりもむしろTOEICの点や、パソコンなどの各種の資格など、はっきり目に見えるものが重視されるようになった。不透明な時代に常に指標となるのは「わかりやすい基準」であり、その点でそうした技能が、別の組織への転身の切符と化すことになる。その意味でダブルスクールの隆盛や大学の専門学校化、MBA、(それにManaging Todayによる自己研鑽)もそうした傾向への合理的対応である。

 冒頭にも書いたようなババを引かされる思いは、こうしたシステムの変化のツケが見えにくいかたちで組織への新規参入者に課せられることから生じる。新規採用が抑えられることによって、就職活動で苦しみ、就職して後も高齢化が進む企業の中でキャリアの先が見えてこない。「今時の若い者は」という決まり文句もよく聞くところだが、こうした状況の中では既存の組織を信じて長期的にコミットしにくいのである。実際に「若い人にまかせましょう」と言って、まかせられたためしもない。(年金だって学生時代から払わされたわりには、いくらもらえるかわかったもんじゃない。)このままではいずれは若者は年輩者への敬語すら面倒くさいと思う時代が来てもおかしくない。現在の学級崩壊や学力低下も、学校教育が輝かしい未来への切符としての信頼を失った証拠でもある。

 しかしそれでも、企業にとって常に発展の源泉は、資本そのものではなくそれを活用する従業員であり、従業員が組織にもたらす知識こそが企業発展の原動力であるという点は、企業が企業である限り今後も変わらない。80年代の教えは、その点では全く古びてはいない。いくら環境の変化が早くとも、組織内に強みのコアを残すためには、逆説的だが、たとえ暫定的であってもある程度長期的な信頼に結ばれた部分を確立する必要がある。制度に守られた牙城ではなく、いったんは互換部品として解体された人材による自発的結束のプロセスである。これをいかに形成するかこそが今後十年の経営学の大きな課題となろう。

 私もこのままババをひいたままで終わる気はないのだ。





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